新型インフルエンザ対策に日本の本質を見た
仕事柄いろいろな団体に所属していますが、その中の一つに会員10数万人の組織があります。
この人数になってくると、本部組織があって結構な人数が事務員として働いていますし、本部は一種の官僚機構のような状態になっています。
今回の新型インフルエンザ対策で、現在この団体の本部通達は、あくまで基本方位と断った上で「各種イベント・会議の開催は各支部の判断に委ねる。」となっています。
しかし、口頭では開催してくれるな=全面開催禁止と言っています。
それなら「こういうレベルになったら全面禁止」というように決めればよさそうなのですが、そのような通達は出さないと言うのです。開催によって感染者が出たときの責任を取りたくなさそうなのです。
このような姿勢を見るにつけ、つくずく日本は天皇制社会だなぁと思うのです。
天皇制の本質は、上からはトップダウンができるけど、下からは誰が責任者かわからない。ロラン・バルトが指摘した「空虚な中心」に寄りかかった組織です。
さらに中心と周縁で、絶えず差別の再生産をしているのが天皇制です。「非国民」とか「村八分」がその例です。
インフルエンザ問題でも、関西大倉高校に対して嫌がらせや脅迫が殺到したことでもわかります。
今や日常生活では「自立した個人」とか「自己責任」「頑張った人が評価される」という西洋的自我がもてはやされているのですが、何のことはない、緊急事態になれば古き良き日本人体質が出てくるのです。
新型インフルエンザにかかるかかからないかは、自己責任でよいではないですか。イベント開催者に責任があるんでしょうか?
ニューヨークタイムズ紙では「日本は過剰反応だ。」と書かれる始末で世界の笑いものです。
一層のこと、日本では冬場はすべての行事をおこなわないということにすれば良いのに。それこそ上からトップダウンで下ろせば、すぐに広まるよね。
昭和天皇の大喪の礼のとき、経済成長なんか度外視で全国みんな営業停止・臨時休業した国民だから、そのくらい大丈夫でしょ。
ちなみに、私は大喪の礼の日には、会場隣接の芝居小屋で友人の劇団の芝居を見て、大笑いしていた非国民です。検問くぐるの大変だった。