こうして生名フェリーは上村によって歪められた2【2018年3月10日記事】 | 高梁清音のブログ

高梁清音のブログ

上島町役場は町民の生活に必要なこと以外は何もするな。イベントなんていらない。何もなくても静かに暮らせる町であればよい。なお当ブログ掲載の高梁撮影の写真等の無断転載を著作権主張により禁止する(リブログ等を除く)。

前日の記事

1からのつづき

 

 

こうして生名フェリーの歪んだ委託は開始されたわけだが、当初は次のような、もっとフザけたことをやっていた事実を知る者は、今となっては殆どいない。

 

現在は水曜日と土曜日or日曜日に、終日、弓削汽船が担当する形になっていて、つまり、一日を通して、弓削汽船担当日は、弓削汽船船員が、自社の「第五青丸」を使用して運航しているが、当初は、週4日、弓削汽船が運航する日を設定し、一日を前半と後半に分けて、その半分だけを弓削汽船が運航するという、現在よりもさらに不効率に輪をかけた、信じられないようなことをやっていたのだ。

 

一日のうち前半を公務員船員が町のフェリー「いきな」を走らせ、後半を弓削汽船船員が自社のフェリー「第五青丸」を走らせ、毎回14時台に船と船員セットでの交代が行われていた。

 

そうやって0.5日×4で、週二日としていたわけで、高梁が前回記事において、週二日ではなく“週二日相当分”という表現をしてきたのはそのためである。

 

そして、弓削汽船のフェリー「第五青丸」は、弓削島の下弓削港に係留してあるので、担当する時が巡ってくる毎に、下弓削と土生の間の“回送”が発生し、週に4往復も下弓削と土生の間を、空のフェリーが走る状況となっていて、その燃料費も全て、町が支払う委託費用に入っていたということになる。

 

本当にフザけた話だ。

 

さらに言うと、交代は土生側(長崎桟橋)で行われていたので、走っていない時は立石側に係留される町のフェリー「いきな」にも、週に4回、土生から立石に戻るための回送が発生しており、その分も燃料を無駄にしていたということだ。

 

これらの“週4日2分の1運航方式”は、あまりにバカなことをやっているということで、さすがに指摘が入ったのか、後になって、現在のような、担当日は終日走らせる運航形態に改められ、その段階で、やっと、本当の意味で週二日の運航委託という状況になったと言えよう。

 

これにより、フェリー「いきな」の回送は解消されたが、弓削汽船「第五青丸」の回送回数は、半分になっただけで現在もなお続いている。

 

ちなみに、週4日2分の1運航方式を行っていた頃は、単純計算でも、年間384回も下弓削-土生間を、客を扱わない回送でフェリー「第五青丸」を走らせていたことになり、燃料価格が高止まりしている情勢の中、相当なムダを発生させていたことになる。

 

ついでに、これを航海時間に換算すると、年間約96時間もムダな航海をしていたことになる。

 

そして、これは単純に走っている時間だけなので、実際は、エンジンを始動して走り出すまでの暖機運転などもあるので、実際にはもっと余分な油を消費していたと考えるべきだろう。

 

以前の記事で取り上げたことがあるが、弓削汽船委託担当日に、弓削汽船関係者の友人や知り合いなどを、運賃を取らないで乗船させていた(回数券を受け取らない)悪事はもちろん、そもそも、車両も旅客も乗船しにくいフェリー「第五青丸」に“乗せられる”ことによって、利用者は何年もの間、不利益を被ってきたわけだ。

 

さらに言うと、上村は、生名フェリーの事業において、弓削汽船への依存度を高めるために、弓削汽船所有のフェリー「第五青丸」を必要不可欠な存在とするべく、フェリー「第五青丸」があれば予備船は不要と主張し、町が予備船として所有していたフェリー「たていし」を二束三文で処分してしまったのだ。

 

フェリー「たていし」は、1990年代に旧生名村が建造したフェリーだったが、その後10年ちょっとで、現行のフェリー「いきな」を建造した関係で、以降はずっと予備船となり、基本的にフェリー「いきな」が年次検査に入るなどした時しか動くことはなく、よって通常の建造年数に見合うほどの“使い減り”をしておらず、さらに、自治体が所有していた船だということで、手入れも民間船以上に行き届いており、非常に状態の良い船であった。

 

そして、フェリー「たていし」は二束三文で売り飛ばされた後、さらに転売され、現在では日本から遠く離れたフィリピンに存在している。

 

現地においてフェリー「たていし」は、日本時代使い減りが少なかったおかげで、まだまだ元気なエンジンをガンガン回して、フィリピン人の生活の足として大活躍をしている。

 

もともとあった客室が非常に小さかったので、その上部、二階部分に新たな客室を増設しているが、塗装も日本時代とほぼ同じで、南の海で元気に活躍する元「たていし」↓。

 

 

自分や自分の取り巻きの利権のために、上村は、実に、もったいない軽はずみなことをしてしまったわけで、今さらながらに怒りを禁じえない。

 

さらに、それに加担してきた、前田を筆頭とした上村飼い犬議員どもも同様に、絶対に許すことはできない。

 

しかし、まあ、これで、乗りにくい弓削汽船のフェリー「第五青丸」と利用者はおさらばできるわけで、これで、一年中いつ乗船しに行っても、フェリー「第五青丸」にあたる心配がなくなる。

 

そして、フェリー「いきな」がドック入りする時などは、その「いきな」よりももっと大きくて、新しくて良い船が代船で来てくれるようになるのも楽しみだ。

 

フェスパと並んで上村悪政の象徴だった生名フェリーは、この4月から一応の区切りを迎える。

 

しかし、上村と弓削汽船を追い出しただけで、将来に向けた生名フェリーの改革が終わるわけじゃない。

 

それに、今後も上村一味はどんな卑劣な妨害行動を仕掛けてくるかわからないので、宮脇は決して気を緩めることはできない。

 

宮脇は今後の交通改革のために

“一旦”

いきなフェリーを町営に戻すと言っている。

 

今はそれを信じることにするが、その先にある、将来に向けて生名フェリーが存続するための避けては通れない施策の実行を、宮脇は決して忘れてはならない。

 

繰り返し、生名フェリーの改革はこれで終わりではないのだから。

 

もしも、これで本気で宮脇が終わりだと思っているのなら、それこそ宮脇は、そこで終わりだ・・・。