悲惨!魚島商店の哀れな末路 | 高梁清音のブログ

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上島町役場は町民の生活に必要なこと以外は何もするな。イベントなんていらない。何もなくても静かに暮らせる町であればよい。なお当ブログ掲載の高梁撮影の写真等の無断転載を著作権主張により禁止する(リブログ等を除く)。

町民の皆さんは、島おこし協力隊というものを知っているか?

島おこし協力隊(本当は地域おこし協力隊という名称だが、上島は島なので、便宜上地域を島と読み替えている)というのは、人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外(都市部等)の人材を積極的に誘致し、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とする取組であり、具体的に言うと、地方自治体が都市住民を受入れ、一定期間以上、農林漁業の応援、水源保全・監視活動、住民の生活支援などの各種の地域協力活動に従事してもらいながら、当該地域への定住・定着を図っていくというものだ。

それで、上島町も、その、島おこし協力隊を募り、それに応募して、1人の若い男性がやって来たのだった。

彼は、魚島に商店が1軒もないことに着目し、島民の生活利便を向上させるために、魚島に商店を開業することにした。

それが「魚島商店」だったのである。

しかし、このように、都市部から超過疎高齢化離島に移り住み、何とか、魚島島民の役に立ちたいと高い志を持ち、頑張って商店を開業したにもかかわらず、魚島島民の彼に対する対応は信じられないような冷徹さだった。

島民は、頑張る若者を暖かく見守るどころか

「あんた、そうやって店を開いて金儲けをしながら、国とかから補助金みたいなのも貰ってるんだろ」

「結構な身分だな。補助金と売り上げ両方で丸儲けなんだろ」

などと、彼を責め立てたのである。

確かに、彼は公的な補助金を受けていたが、人口が200人もいない、老人ばかりの島の商店の売り上げなど、たかが知れており、とてもじゃないが、採算に合うようなものではない。

だから、公的な補助を受けながら、辛うじて事業を継続していたが、あくまで補助は、島おこし協力隊の公正な制度に基づいたものであり、何の問題もなかった。

さらに言うと、補助を受けていても、条件の劣悪な魚島で商店を営業する経費等を差し引きすると、とても彼の手には利益らしきものは残らず、半ばボランティアで事業を継続している状況だった。

そんな状況で、使命感と若さだけで何とか頑張っていた彼を、魚島島民は島根性丸出しで「公金を貰いながら遊び半分で商店をやっている」とばかりに、責め立て続けた。

これはもうイジメそのものだ。

そのせいで彼は精神的に参ってしまい、結果、補助金を受けるのをやめてしまったのである。

当然ながら、何らかの公的補助金なしで、魚島における商店の経営が成立するはずがない。

しかし、彼は、一度店を開いた以上は責任があると、これまで補助金で埋めていた赤字を、自分の貯蓄で埋めるようになったのである。

そして、そのようなことをやっていれば、行き着く先は事業の破綻しかないわけであり、最終的に彼は、せっかく開いた魚島商店を、泣く泣く畳むしか道はなくなってしまったのである。

こうして彼は、自らの貯蓄を使い果たし、丸裸にされて叩き出されるように、魚島から去って行ったのである。

せっかく高い志を持って、過疎離島の役に立とうと魚島にやって来たのに、本当に無念だっただろう。

そして、当然、魚島で彼が受けた仕打ちは、地域おこし協力隊を志す若者の間で、日本各地で広まることだろう。

上村町長は相変わらず、議会等の公の席において

「品格のある町、上島町」

「世界に誇れる故郷、上島町」

なんてことを嬉しげに口にしまくっている。

まったく、何が品格だ。

何が世界に誇れるだ。

どの口でこんなことを言うのか。

魚島が自分の票田だということで、上村はこれまで、町営定期船の運賃6割補助を行うなど、他の自治体では有り得ないような、常識的公平性等を無視した、手厚い援助を魚島に行ってきた。

そして、そんな自分の票田である魚島における、魚島島民の、今回のような島おこし協力隊男性への行為等を、町内他島の町民には、いつものように、完全隠蔽しておいて、よくも歯の浮く綺麗事ばかりが言えたものだ。