先日、日曜日の会議の帰り道に綺麗な虹🌈が出ていたので、思わず田んぼ道に車を止めて写真を撮ってしまいました。
私的にこの写真を表現すると「ぶっとくてめちゃ濃い虹」にとどまり、美的センスのかけらもないでの、友人でアートディレクター、ARTS ISOZAKI主宰の磯崎寛也さんに写真を見てもらい、この写真が表現するものをひもといていただきました。
さすが現代アートを専門とする磯崎さんの美的センス抜群の表現力です。
コロナ禍でも上を向いてしっかり歩いていこうと勇気をもらいました。
長文ですが、お読みいただければ幸いです。



No Rain, No Rainbowという言葉があります。
辛い出来事のあとには、きっと良いことがやってくる、という意味です。
私たちは、現在コロナ禍でさまざまな困難を経験していますが、この虹を見て、天が私たちにこれから訪れる良いことを約束してくれたように感じました。 

皆様は旧約聖書の「ノアの箱舟」のお話をご存知でしょうか。
唯一神エホバは堕落した人類を一掃するために大洪水を起こすのですが、ノアとその家族を箱舟に乗せて生き残らせ、そのノアにもう二度と洪水を起こし地上の生き物を滅ぼさない、とお示しになった約束の印が虹だといいます。

これから水戸市でもワクチン接種が始まりますが、きっとすぐに集団免疫ができ、もう二度とこんな悲劇が起きないと期待します。
それを虹が約束してくれているようなそんな思いになりました。

さて、この写真の虹の始まりは、美しい斜張橋の逆Y字型の柱ですが、私にはこの柱が白い天使が羽を広げてこれから飛び立とうとしている姿に見えました。
美しい青空と田植えが終わったばかりの水田の緑は、虹を構成する色でもあり、早苗の若緑の列が整然と並ぶその間には青空が写っています。
つまり大地が水を鏡にして空を反映しています。
太陽の光と水がなければ私たちの主食である米が実ることもありません。
そう考えていくと、青空も虹も苗も、そして私たちの体も、太陽の光が形を変えたものであり、世界は混じり合い、拡散し、関係しあい、進んでいるんだと感じることができます。

虹のことを考えていて、ある政治家を思い出しました。
その人の名前はハーヴェイ・バーナード・ミルク(英: Harvey Bernard Milk)1978年当時、私はまだ中学生でしたが、海の向こうのサンフランシスコでは、ゲイの人権活動家でサンフランシスコの市議会議員ハーヴェイ・ミルクとデザイナーのギルバート・ベイカーによって、「レインボウフラッグ」がセクシュアルマイノリティのほこりのシンボルとして生まれました。
その冬、同僚議員のダン・ホワイトにより、ジョージ・マスコーニ市長とともに市庁舎で射殺されたのです。
こんなことは現代の水戸では考えられないことですが、幕末から明治の初めの頃にこの街で起こっていた激しい政治闘争を考えると、決して対岸の火事ではないと思うのです。(ちなみに彼は1999年には「タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄」に選出されています。)
ガス・ヴァン・サント監督、ショーン・ペン主演で、アカデミー賞主演男優賞に輝いた有名な映画にもなっているので、ご覧になった方も多いと思いますが、このハーヴェイ・バーナード・ミルクという政治家のことを考えた時、もし自分がそのミルクの置かれた環境にいたら、果たしてどんな政治を志しただろうか、彼の行動はたしかに過激かもしれないが、選択肢としてはあると考えてしまったのです。
人権や自由のために命をかけて戦うのも政治家であり、平和と安全と調和をもたらすのも政治家、同じ志を持った7人の政治家が虹の色のように全く違った行動を起こすかもしれない、そんなことを想像したのです。
私は、街の辺境からある程度マイノリティの気持ちを理解することはできますし、誰よりも本当の自由と機会の平等を望んでいます。
 
最後に虹についてのちょっと科学のお話しです。
虹の正体は、雨滴の内部で反射した光です。
光は反射し屈折しますが、屈折率は色によって異なるために1つの雨粒からは1つの色のみが目に届きます。
太陽→プリズム(水滴)→観察者のなす角度が特定の角度になった時、虹が見え、色が分かれます。
私たちの思いや、行動も、社会のプリズムによって、虹のように7色に拡散するのではないでしょうか。
それが美しい色として見える角度もあれば、闇に吸収されてしまうこともあるのです。
こうして、虹を見ることができたということは、何か偉大なものに触れる、あるいは真実を知るチャンスを大いなる存在かから与えられたのではないかと考えました。
そして、目を凝らせば、ある角度で、これまで気づかなかった街の中の人々の放つ光の虹を見つけることができるかもしれない。政治はそうした人たちに光を与え、その才能や自由を守ることも大切な仕事、そう考えるとなんだかワクワクしてきました。