南相馬市の上野敬幸さん。 | H i Bi no A T O

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(上野さんの津波で壊れた家と新築した家。)

南相馬市原町区は、国道6号線を境に街の姿が一変する。
市街地の姿とは対照的な、だだっ広い雑草に覆われた平地が海岸まで続く。
その一角にポツンと建物が建っている。
1階部分の壁が抜けボロボロになった建物と、その横には真新しい建物。
上野敬幸さん、この建物主だ。
新しい建物は、今年新築されたものだ。
「古い建物は、壊すのですか?」と上野さんに問いかけると、「本当は壊した方がいいんでしょうね。だけど、ここ(古い建物)で、みんなで生活していたから、なかなか迷いますね・・・。」と。
上野さんは、津波で両親と長女(8)・長男(3)を亡くした。
今も父親と長男は見つかっておらず、毎日捜索している。
古い建物の玄関口には、焼香台と、瓦礫の中から見つけたであろう子供たちの写真やたくさんのおもちゃが並べられている。
「本当は、もっといろんなものが(建物の中に)あって、ある程度片付けたところでやめようと思ってたんです。だけど、たくさんのボランティアのみんなが本当に奇麗に片付けてくれました。」と、壁は津波によって抜けてしまっているものの、流木やゴミが奇麗に片付けられた建物を観ながら笑顔で話してくれた。
この上野さんのお宅は、広い荒野と化した街の中で目立つため、絶好の撮影スポットになってしまった。時には、無断で建物の中に入り写真を撮り、それを注意する上野さんに対して、「お前に言われる筋合いはない」とか、「せっかく撮って伝えてやろうと思ってるのに」など、あまりに身勝手な言動や悪態を吐いて去って行く者もいるという。
「せめて手を合わせてくれたり、一言、撮らせてくださいという言葉を投げてくれれば、こっちも強くは言いません。ここは、私の家なんです。もし、自分の家に土足で勝手に上がって写真を撮られたらどう思うか考えて欲しい。」と、上野さんは、訴え、「こちらも生活があります。家族がいます。こういうことから生活が脅かされる事態が起きるのが怖いんです。だから、今は、話してもわからない人には、警察を呼んで対応して頂いています。」と、続けた。
今、写真が生活に身近な時代になった。しかし、それと並行して考えなければならないモラルが、あまりに欠如している。
被災地は、観光地ではない。震災を感じたくて、被災地に足を運んで来てくれるのは、大変ありがたいことだが、人として最低限のモラルを持ち足を踏み入れて欲しい。
被災地は、”震災後”ではない。
今も、当時と変わらない光景、当時と変わらない想いが、そこにはある。
そこに住む人たちに対し、寄り添わなければならない立場の我々が、傷つけるような言動を起こしてはならないのだ。
当時の、あの地獄のような状況は、人を落とすのにはじゅうぶん過ぎるものだった。
それらを体験した人たちに対して自己を満足させるために、追い打ちを掛けるようなことは、マスコミだろうが個人だろうが、今、生きている者は絶対にしてはならないし、それをいつでも心に留めて置かなければならないと強く思う。
上野さんは、地元の人たちが、1日でも早く戻って来れるように福興浜団という団体を作り、家族を失った哀しみという重い重い荷を背負いながらも、関わる人たちに心の負担を掛けないよう毎日笑顔で地域のために動いている。
そんな遺族や被災者がたくさんいる。
それをもっともっと感じて欲しい。
自宅の入口には、公園を造りイルミネーションで「わらいあえる ところにします」と、上野さんの決意が描かれていた。
今も震災は終わっていない。
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(周囲の住宅は、津波で全滅した。)
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(玄関には、子供たちの写真が置かれている)
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(「わらいあえる ところにします」上野さんの想い。)

*写真はすべて上野さんの許可を得て撮影しています。