前からのつづきです。
港の方で霧笛を聞く人は、無敵なのです。
無敵というのは、敵が2千人、3千人いて、
それをなぎ倒して全部の敵が
いなくなるのではありません。
「無敵」という文字をよく見ると
「敵が無い」と書いてあります。
「無敵」になるためには敵をなぎ倒すのではなく、
そういうこともあるよね、と受け入れてしまうこと。
そして、いちいち過剰反応しないで、腹を立てたり、
イライラしないという状況をつくると、
「私」が一番得をする。
「私」がイライラしないのだから、
「私」の臓器が痛みません。
この方程式がわかってしまうと、
「そういう寛容、寛大な人になるべきだ」という
「べき論」で言っているのではないことを、
わかっていただけると思います。
相手を糾弾して自分の思いどうりにするよりも、
自分が広がって、全部の人を受け入れられるようになると、
「私」が一番楽になる。
この本の中では、このように「私」の心が広がって、
力を抜いて生きるための物事の見方や考え方について
書いてみようと思います。
2009年1月 小林正観
「神様の見方は私の味方」 力を抜いて生きてみる
の「はじめに」より 小林正観著 宝来社刊
港の方で霧笛を聞く人は、無敵なのです。
無敵というのは、敵が2千人、3千人いて、
それをなぎ倒して全部の敵が
いなくなるのではありません。
「無敵」という文字をよく見ると
「敵が無い」と書いてあります。
「無敵」になるためには敵をなぎ倒すのではなく、
そういうこともあるよね、と受け入れてしまうこと。
そして、いちいち過剰反応しないで、腹を立てたり、
イライラしないという状況をつくると、
「私」が一番得をする。
「私」がイライラしないのだから、
「私」の臓器が痛みません。
この方程式がわかってしまうと、
「そういう寛容、寛大な人になるべきだ」という
「べき論」で言っているのではないことを、
わかっていただけると思います。
相手を糾弾して自分の思いどうりにするよりも、
自分が広がって、全部の人を受け入れられるようになると、
「私」が一番楽になる。
この本の中では、このように「私」の心が広がって、
力を抜いて生きるための物事の見方や考え方について
書いてみようと思います。
2009年1月 小林正観
「神様の見方は私の味方」 力を抜いて生きてみる
の「はじめに」より 小林正観著 宝来社刊