今回の台風19号は甚大な被害を日本各地にもたらしましたが、皆さんのお住いの地域は大丈夫でしょうか。この度の台風で被害に遭われた方々に、心よりお見舞いを申し上げるとともに、1日も早い復旧を願っております。

 

家屋に相当な被害が出ている模様ですが、そうなってくると必要になってくるのが仮設住宅です。かなりの数の仮設住宅を早急に建てる必要がありますが、仮設住宅は「いずれ取り壊すことが分かっている建物」ですよね。

 

また、東京都内では東京オリンピック開催に伴う、都市部の再開発が盛んに行われています。56年ぶりに東京で開催されるオリンピックとあって大変な期待をされていますが、

「オリンピックが終わった後の会場はどうする?問題」

は、どのオリンピックでも議論になります。

オリンピックというお祭りの後に、お祭り用に作った立派な会場の建物を

「さて、どう使うか?」

が問題となってくるのです。

メジャーなスポーツの会場ならば、その後も、その建物を使えばいいですが、マイナーと呼ばれるスポーツ会場はさてどうしたものか...

 

 

建築家・坂茂 さん


僕が大変尊敬している建築家の方がいます。
名前は坂茂(ばんしげる)さん。

 

1957年生まれの坂さんは中学、高校時代にみた建築雑誌の影響を受け、建築家への道を志されます。

その時の雑誌で見た建築家が教えるアメリカの学校で学ぶために19歳で渡米し、1984年にクーパーユニオンの建築学部を卒業。

日本に帰国後、建築家としてのキャリアを
スタートされます。

マイノリティ、弱者の住宅問題に強い関心を寄せられる坂さんは、難民キャンプの仮設住宅や、阪神淡路大震災の仮設住宅や、その大震災の時に壊れてしまった集会所として使われていた教会などの設計をされましたが、建材として使われたのは驚くべきことに

「紙」

だったのです!

そう、

「紙」 です!

一口に紙と言ってもペラペラの紙ではなく、

「紙管」

と呼ばれるもの。

粘着テープの芯に使われる、再生紙で出来たものが多い、あの筒状のものをイメージしてもらえればオッケーです。あの紙管をコーティングしたものが、建材として使われました。

その後も被災地での仮設住宅設計などに積極的に関わられ、阪神淡路大震災時の「紙の教会」では毎日デザイン賞大賞。


東日本大震災被災地で使われた紙の建築で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

さらには建築界のノーベル賞とも言われる「プリツカー賞」を2014年に受賞されています。

 

 

極めて合理的な考え


ここで、数々の疑問が出てきますよね?

「何故、紙で作るのか?」

「紙で大丈夫なのか?」


これに対しての坂さんの回答は明確です。

 

「難民キャンプでの活動を始めた頃、国連から支給されたのはプラスチックシートのみで、それを暮らせる場所にする為には、 柱となるものが必要でした。近くに生えていた木を伐採して柱を作ったのですが、あまりに大量の木を伐採した為、 環境問題が発生しました。
この事態を受けて国連はアルミパイプとバラックを支給しましたが、アルミは高価である為に、 難民が売ってしまう。この事態を打開する為に、安価で丈夫な建材として 紙管を選びました。」

 

 

 

 

との事なのです。

それと気になるのは紙管の強度です。

紙と言えば燃えるし、水に濡れてしまうと柔らかくなりますよね。これで建物を作っていいのかという疑問が起こりますが、坂さんは以下のような事をおっしゃっています。



「牛乳のパックを思い浮かべて下さい。紙は木と違って工業製品なので、防水や不燃の加工が施してあります。工業製品なので、防水や不燃の加工は簡単に出来るのです。 家に使う壁紙も不燃加工がしてある。それと同じです。」

 



「紙で作っても地震で壊れないものは作れます。石より強度が低い木で建物が建てられるのですから。つまり、建築の強度や耐久性は材料の強度とは関係が無く、木よりも弱い紙を使っても構造計算をちゃんとすれば、安全な建築ができるということは理論上分かっていました。国交省の許可も取って、実証済みです。」
 

 


坂さんは、パリのポンピドゥー・センターの分館を担当するコンペに勝ちましたが、設計施工の為の事務所を借りる予算がなかったので、ポンピドゥー・センターの屋根の上に紙管と木の継手で仮設事務所を作られたそうですが、その事務所は6年間使用して、何の問題もなかったとのことです。

それだけの年数に耐えうるのですから、弱い建物でないのは確かですよね。
 





建てた時がゴールではない




また、2000年にドイツのハノーバーで開催された万国博覧会では、日本館の設計を担当されしたが、日本政府からリサイクル材での設計を依頼され、紙管で設計されました。

その時の坂さんの思いは次のようだったそうです。

 



「各国がパビリオンを作ると凄い数になりますが、半年後にはそれが大量の産業廃棄物となります。しかし、私の建物は閉会後にリサイクルされました。私の設計のゴールは建物が完成した時ではありません。日本館の私の設計のゴールは、建物がリサイクルされて達成されたのです。」
 





無くなることが前提




仮設住宅や万博のパビリオン。

その建物は近い将来に

「無くなること」

が前提です。

何年も続く万博はありませんし、仮設住宅も何十年も使わない。
オリンピックの会場もそうですよね。

そういった無くなることが前提の建物は、あまりに頑丈な建材で作ってしまうと、
壊す時も大変ですし、壊した後は産業廃棄物の山となります。

だから坂さんは

「私のゴールは建物が解体された時です」

とおっしゃるのです。

設計者という物を作る人が、それが無くなるところまでデザインされている。

そこを僕はとても尊敬しています。



この考え方。

僕は、坂さんが未来への大きなヒントを提示されてるように感じられてなりません。

この考え方って、仮設住宅や万博のパビリオンといった特殊な用途の建物だけの話でしょうか?

家やビルと言った、ごく一般の建物も同じなのではないでしょうか?

東京オリンピックを見据え再開発が進む東京。
今、壊している建物は一体何年前のものなのでしょうか?

恐らく100年は経ってはいないでしょうし、もしかすると築後数十年というものもあるかもしれません。

また、何千年も保つとされるそんな建物を作っても、我々人類の想像を遥かに超える
「想定外」の自然現象があるかもしれませんし、人類が自らそれを壊してしまうかもしれない。


「形あるものはすべて壊れる」

のです。


この真実を

「諸行無常」

という言葉で、我々日本人の先祖は言っています。

そうです。

僕たち日本人は、既に知っているのです。


なのに、何百年、何千年と保つとされる建物を建てようとするのは、人間の自己顕示欲のあらわれなのではないかと思うのです。

「俺たちはココにいた!」

 

「俺たちはこれだけ凄かった!」

 

そう、未来の人へ自慢したいのかもしれません。

 

その未来の人たちは、処理しようのないガレキの山を見上げて、ため息をついているかもしれないというのに。

 

 

「今は21世紀の建物が残ってないんだ。僕ら人類の先祖は建物を建てる時、それを壊して無くなるところまでデザインしたのさ!だから今の建物は紙で出来てるんだ。クールだよな!」

 

 

22世紀の人たちにそう言われたくはないですか?