みなさんお元気ですか?

ライターの simba です。

 

僕はロック、テクノ、クラッシックと

色々な音楽が大好きなのですが、

ここ何年かのアイドルの楽曲には

時代と完全にシンクロするものが出てきています。

 

先日、このブログで取り上げた

欅坂46はその最高のケースです。

 

https://ameblo.jp/takagitakaaki/entry-12534799700.html

 

1960年代、

若者がその感情を叩きつけたのは

ロックミュージックでした。

 

こうありたいという理想や鬱屈とした思い、

言葉だけの表現ではとても足りない、

言葉以上のパワーが必要な感情表現をする時、

エレキサウンドを使って

その感情を爆発させました。

 

ベトナム戦争に対する怒りや

平和を願うヒッピームーブメント。

それらはロックという表現と

繋がっていました。

 

1970年代に入り不景気になったロンドンで、

 

「神は女王を救うけで

    俺たちには未来がねえ!」

 

と若者が叫んだバックには、

「パンク」と呼ばれるロックが

鳴り響いてました。

 

 

音楽が社会のムーブメントに反応したことがない日本

 

ロックもパンクも

欧米のムーブメントです。

 

僕の知りうる限り、僕の体感した限りで

日本において、

 

「若者がやむにやまれない感情を

   音楽に叩きつけた」

 

という現象を見たことがありません。

 

人によっては

 

「ブルーハーツは違ったよ!」とか

 

「いやいや〇〇は凄いよ!」と

 

それぞれご意見があるとは思いますが

(僕も甲本ヒロトさんは大ファンです!)、

 

「音楽でありながら音楽以上」

 

という体感、経験をした事が

ありませんでした。

 

 

でもそんな日本で、

かつて欧米のロックが放っていたような

メッセージを発信するグループが

現れました。

 

「欅坂46」

 

です。

 

「えーっ、あのアイドルグループの?」

 

「センターの子が映画初出演で主演の?」

 

「最近の歌番組では

   センターがコロコロ変わるよね」

 

はい、そうです!

あの欅坂46です。

 

僕は彼女たちに、

かつてのロックバンドが

発していたものと同じものを

感じるのです。

 

 

ロックバンド的、欅坂46

 

彼女たちは秋元康さんがプロデュースする

れっきとしたアイドルグループです。

 

今や大人気の

「乃木坂46」の姉妹グループとして

2015年に結成されました。

 

結成からしばらくは雑誌に出たり

テレビに出たりする、

アイドル然とした活動でしたが、

ファーストシングル発売で

その様相は一変します。

 

 

ファーストシングルのタイトルは

「サイレントマジョリティー」

 

「静かなる大多数」と名付けられたその曲の歌詞は、

社会や大人に不満や疑問がありながら

黙っている大多数の人々の、

持って行き場のない感情が見事に書き込まれ

曲は大ヒットします。

 

その後の数曲はアイドルらしい

恋を描いた歌などがリリースされるのですが、

4枚目のシングルで再び爆発します。

 

「不協和音」

 

という名前の4曲目のシングルは

 

「傷だらけになっても

   人と違うことを恐れるな!」

 

というメッセージが込められています。

 

納得いかないまま人に同調するよりも、

まわりの人と不協和音を奏でようとも

本当の自分をさらけ出そう。

 

この2曲に込められた

あまりにもストレートなメッセージって、

かつて欧米ロックバンドが

発していたものではないかと感じるのです。

 

60年代の(アメリカの)若者は、

声を上げなければ、

自らが戦場に行かねばなりませんでした。

 

70年代の(イギリスの)若者は

不景気で仕事が無くて生活出来ない、

という事を叫ばざるを得ませんでした。

 

社会において極めて

弱い立場の若者の叫びが、

ロックサウンドとシンクロし、

凄まじい説得力を生みました。

 

彼らはそのサウンドに

自らの叫びを歌詞に込めたのです。

 

 

彼女たちが創ったメッセージではないけれど

 

この曲の作詞をしたのも作曲をしたのも

彼女たちではありません。

 

物凄いインパクトのあるダンスも

彼女たちが振り付けを考えたのではありません。

 

しかし、それらの曲を

パフォーマンスする彼女たちから、

凄まじいリアリティを感じるのです。

 

メインを担当する平手友梨奈さんの

歌詞とシンクロする鬼気迫る表情。

 

メンバーが一丸となって髪を振り乱しながら

表現するダンス。

 

それらはとても借り物だとは思えない。

 

欅坂46は結成されて今年で4年目を迎えますが、

メンバーの脱退やメンバーの活動休止が

多いグループです。

 

人気は右肩あがりなのですが、

常に葛藤しながら活動を続けており、

メインボーカルの平手友梨奈さんが不在のまま

テレビ出演やライブを行うこともしばしば。

 

トラブルをそのまま露わにした、

かつてのロックバンドのようです。

 

「傷だらけになっても

   人と違うことを恐れるな!」

 

というメッセージも

彼女たちが考えた訳ではありません。

 

「君らしく生きて行く自由がある!」

 

という言葉も、

 

「それを言わせようとした大人たち」

 

が考えだしたものです。

 

彼女たちは

 

「与えられた歌、振り付けを

    パフォーマンスしてるに過ぎない」

 

のです。

 

本来ならば「やらされ感」が

付きまとってしまって、

パワーを発しないはずのものなのに、

これほどまでにパワーを発するのは何故か?

 

 

 

悲しくも美しい光

 

彼女たちが圧倒的に

弱者だからではないでしょうか?

 

与えられたアイドルという役割。

与えられた歌。

与えられたダンス。

 

作り手の大人に対して意見を言い、

大人がそれを参考にして

クリエイトすることはあっても、

彼女たちスタートのクリエイションは

ありません。

 

あくまで指示を待つ側で、

そこには圧倒的な上下関係があります。

 

大人たちが「もうグループを止めるよ」

と言ったら、止めなければならない。

 

彼女たちは極めて

弱い存在なのです。

 

けれど、

そんな弱い存在の彼女たちの

与えられた歌、ダンスの

パフォーマンスクオリティが

高くなれば高くなるほど悲劇性が増して、

パワーを発生してしまうのです。

悲しくも美しい光を放ってしまうのです。

 

目が離せなくなってしまうのです。

 

かつての欧米のロックバンドと

欅坂46の共通点は

 

「圧倒的に弱者」

 

なのです。

 

「この異常なテンションの中で、

   彼女たちはあと

   何年パフォーマンスできるだろう?」

 

そう思ってしまうのです。

 

 

オーディエンスである僕らと彼女たちの共通点

 

圧倒的に弱者である彼女たちの

パフォーマンスに、

どうしようもなく惹かれてしまう僕らも、

また圧倒的に弱者です。

 

 

若者大人に、

大人ならばより強権な者たちに、

踏みにじられる事を恐れ

言いたいことを言えず、

自分自身で居る事を許されない。

 

それが僕たちです。

 

あまりに痛々しい真実を

彼女たちはパフォーマンスで

代弁してしまっています。

 

それを彼女たちが意図すること無しに。

 

僕たちはそれに反応してしまったのです。

 

 

かつて同じようなポジションにあった

欧米のロックバンドは

そのイメージを消費し尽くされ、

メンバーが亡くなりさえしました。

 

その後の社会は変わったかと言うと、

現在生きている我々の社会が

その答えです。

 

若者たちのやり場のないエネルギーから

ムーブメントが起きて、

その思いをロックサウンドに

叩きつけましたが、

 

「どこかの大人たちが

    とてつもなく大金を儲けた」

 

のは確かでも、

社会が明らかに変わったとは言えません。

 

ムーブメントを支持していた

ジェネレーションも、

ムーブメントが長引くにつれ

年齢を重ね、社会的ポジションが

変わって行き、

声を上げなくなった。

 

結果、社会はさほど変わらなかった。

 

これが、

こういうストーリーのエンディングです、

今までの。

 

今回もまた、

どこかの大人たちが

とてつもなく大金を儲けたという

エンディングなのでしょうか?

 

彼女たちのパフォーマンスに

何かを感じたというのに僕たちは、

何も動かないまま年齢を重ね

社会的ポジションが変わって行き、

声すら上げなくなるのでしょうか?

 

それとも、

アイドルの鬼気迫るパフォーマンスに

触発されて、

社会的ムーブメントを起こした

非常に稀有なケースの

日本のジェネレーションとして

記憶されるのでしょうか?