誰かに認めて欲しくなるのは、

自分が自分を認めていないとき。



問題なのは、

認められたいと感じることじゃなくて、

自分が自分を認めてないってこと。



大切なのは、

自分が自分を認めてあげることだ。




承認欲求の否定は、

認められたいと感じる自分の否定。


自分を認められない痛みから、

他人に認めて欲しい想いが生まれてる。



認めて欲しくなる自分を否定することは、

自分を認めないってこと。



つまり

自分を認められない痛みがあるから

他人に認めて欲しいという想いが生まれてるのに、

その認めて欲しい想いを否定すると、

自分を認められない痛みが深まる。




大切なのは、

自分を肯定することだ。




 

で。



他人に認めてもらえなくて感じる痛みは、

愛されない痛みでもある。



愛されない痛みを感じるのは愛されたいから。



そして、愛されたいのは

つながりを感じさせて欲しいから。



つながりを感じさせて欲しいのは、

自分がつながりを感じられていないから。



必要なのは、

自分がつながりを感じること。




大切なのは、

自分が自分を認めることであり、

自分がつながりを感じることだ。

誰もがそうあることを選んでる。


そうあることに痛みを感じるなら、

そうあることにある喜びに気付くといい。


すべては、

生命を紡ぐためになされた結果であり、

それは大切なものを大切にするための選択。


そうあることを否定しているのは、

「わたし」という意識だ。


「○○になれば幸せになれるのに」ってのは

ほんとは、幻想で。


 

○○になれないことが

問題であるように思うんだけど、


実は、

「○○でないから幸せじゃない」ってのが本質で。


 

というか、

「○○でないから幸せじゃない」ってのが、

そもそも幻想だっていう。


 


で、

なんのこっちゃっていうのが、

人生なわけですよ。




まじ、どんまい。