(3)、 理系から文系へ、英語講師から数学講師へ(前編) | 「京大」を7回受け、英語8割の英検1級講師「京大セブン」が添削したら、10年連続「京大」合格(うち4名は医学部医学科)。

「京大」を7回受け、英語8割の英検1級講師「京大セブン」が添削したら、10年連続「京大」合格(うち4名は医学部医学科)。

 訪問していただき有り難う御座います。このブログでは、京都大学、大阪大学、名古屋大学、国立大学医学部に合格できる学力をつけるためのアイディアを真摯に書かせてもらっております。

理系から文系へ、英語講師から数学講師へ(前編)

 

第一章、父の影と私の道:理系から文系への軌跡

 私の父は、一言で言えば、ウザかった。高校入試の合格発表の日、彼は私についてきた。そして、私が就職したときには、彼は2時間以上もかけて私の勤務先である塾まで挨拶に来た。

 

 私は高校2年生の時まで、理系に進むつもりだった。ロボットを作りたかったのだ。しかし、私が通っていた四日市高校は、当時男子の割合が高く、男子クラスが設けられていた。私はそのクラスに所属していた。

 

 男子生徒の多くが理系を選ぶ傾向があり、私もその一人だった。しかし、数学の勉強を始めると、めまいがするような感じがし始めた。それは、公式の成り立ちを納得していないのに無理やり使わされることに、生理的な拒否感が生まれたからだ。

 

  模試の結果を見ると、文系なら難関国立大に合格できる可能性があった。しかし、理系だとそこまでは難しいという結果だった。私は泣く泣く「教育学部」に進むことになった。

 

 生きていくためには、英語講師になるしか選択肢はなかった。しかし、その英語に真摯に向き合うと、問題が山積みだった。それでも、私は前進し続けた。父の影を背に、自分の道を切り開いていったのだ。

 

第二章、 英語教育の真実:ビッグワードからシェークスピアまで

 1982年、アメリカのユタ州ローガン中学校で社会の授業をしていた時、初めて「何かおかしい」と感じた。私の授業は、同席していたネイティブの教師によって頻繁に中断され、彼は生徒に向かって説明を始めた。「ミスタータカギが今使った単語の意味はね、---」と彼は解説を始めた。

 

 私は理科教師のアランに相談した。「なんで私の授業を中断するのかな?」と。彼は私にアドバイスをくれた。「お前の英語は綺麗だけど、ビッグワードを使いすぎなんだ」と。

 

   それから、私は注意深く職員室の会話を聞き始めた。そして、確かに彼らは中学レベルの英語を使っていた。私が受験勉強で習った難解な単語などは全く出てこないだ。

 

 私の塾生たちは、高校で与えられた「システム英単語」を使って単語をたくさん覚えていますが、多分それはムダになる。

 

 アメリカから帰国した私は公的な資格を取ろうと思い、とりあえず英検1級の過去問を書店で入手した。しかし、知らない単語や表現を見つけてウンザリした。

 

 もはや、高校生の時のように「頑張って勉強しないと」と自分を責める気にはなれません。私はネイティブの助けを借りて問題を解き始めましたが、「これは何だ?なんで、日本人のお前がこんなものを」と言われた。それで、「どういう意味?」と尋ねると、「こりゃ、シェークスピアの時代の英語だよ」と笑われた。

 

 しかし、アメリカから名古屋にある7つの予備校、塾、専門学校に履歴書を送付しても全て無視されたので、私は日本の英語業界で認知されている資格を取らざるをえなかった。

 

 事実、英検1級を取ったらどの予備校、塾、専門学校も返事が来るようになった。結局、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、河合塾学園、名古屋外国語専門学校などで14年間非常勤講師をすることになった。

 

 その間に出会った英語講師の方たちの中に、英検1級を持っている人はいなかったし、旧帝卒の講師の方もいなかった。資格を持たないと雇ってもらえないという私の見方は誤っていた。

 

 このエッセイは、その経験を通じて得た英語教育の真実を伝えるもの。私たちは、ビッグワードからシェークスピアまで、英語教育の全てを見つめ直す必要がある。それが、真の英語力を身につけるための第一歩なのだ。

 

第三章、英語教育の迷路:受験英語と現実のギャップ

 私はかつて受験英語を捨て、アメリカで使われる実用的な英語を用いて資格試験や面接を通過した。それは中学生レベルの英語を駆使して複雑な内容を表現するという挑戦だった。

 

 しかし、今日、私は再び受験英語を教えている。驚くべきことに、高校や大学の入試問題は30年前と何も変わっていない。受験参考書の構文も、未だに「take it for granted that」や「not until」の世界に留まっている。

 

 日本にはALTが増えてきているが、「日本の教科書はクソだ」とか「英語が話せない教師が英語を教えている!」と批判しても、誰も耳を貸さない。そして、偏差値追放、小学校から英語を、という意味不明な政策が打ち出される。私が所属する予備校や塾業界も、暴走族講師やマドンナ講師、パフォーマンス重視の風潮が蔓延している。

 

 そして、それをマスコミが煽る。賢い生徒たちはあきれ返って「マスゴミ」と揶揄している。しかし、一体いつまでこのようなバカな状況が続くのだろうか。

 

 でも、本当に英語教育界にまともな人はいないのだろうか?私が四日市高校や名古屋大学の教育学部で出会った学生の中にはまともな人もいた。それで、日本一レベルが高い東大や京大を受けてみることにした。

 

 京大は英語の試験が和訳と英作文という珍しい大学だ。それで、まず「京大模試」とZ会の「京大即応」を受講してみた。京大模試は河合、駿台、代ゼミなどを10回。Z会は8年間やって、じっくり研究してみた。

 

 ランキングに載り、Z会からは「六段認定証」というのももらったが、毎回の添削は納得がいかなかった。京大模試の採点も同様だ。それで、

「いったい、だれが採点してんだ?」

と思い調べてみた。しかし、企業秘密で分からない。ただ、自分が勤務していた予備校の講師レベルだろうとは推測できた。受験参考書どおりの訂正がなされていたからだ。

 

 この状況は、英語教育の迷路のようなものだ。私たちは、その出口を見つけるために、どうすればいいのだろうか?

 

第四章、英語の壁を乗り越えて:京大受験とその後の成功

 私が初めて京大の試験に挑んだ時、私は「受験英語」で答えを書いてみた。結果は驚くべきことに、全体の60%しか正解できなかった。私の英語力がそこまで低いはずがない。そこで、次に挑んだ2回は、資格試験の参考書に書かれているような古風な口語で答えを書いてみた。それでも、正解率は70%程度。

 

 しかし、最後の3回目には、私がアメリカで使っていた中学レベルの英語で答えを書いてみた。すると、なんと80%の正解率に跳ね上がったす。これは、やはり京大の先生方が一流であることを示している。

 

 私が指導している優秀な生徒たちも、同じ感想を持っているようだ。「あの先生が自分で京大を受けたら、確実に落ちるだろう」と、京大医学部に合格した生徒が言っていた。それを聞いて、「この子たちなら、私の言うことが理解できるだろう」と思い、英語の添削を始めた。

 

 そして、予想通り、またはそれ以上に、次々と京大合格者が出始めた。それだけではない。京大医学部、阪大医学部、名大医学部、東京医科歯科大学、三重大医学部など、どの大学でも、私の指導は有効だった。

 大学の先生方は、やはり賢いです。

 

第五章、教育の現場から見える真実:大人の責任と子供たちの未来

 私があることを口にしたとき、周囲からは蛇蝎のように嫌われた。それは、日本の社会が和を重んじ、議論を避ける風潮についての意見だった。しかし、私はこの問題を無視することはできない。

 

 私たちは皆、生活を維持するために働かなければならない。英語が話せなくても、生徒が志望校に落ちても、それは私たちの生活には影響を及ぼさない。だからと言って、その結果として犠牲になる生徒たちはどうなるのだろうか?私たちは大人としての責任を放棄しているのではないか?

 

 私が北勢中学校にいたとき、英語は最も嫌いな科目だった。成績も良くなかった。数学、理科、社会、国語と同じく、特に意識することのない科目だった。しかし、総合点ではトップクラスだったので、それで満足していた。

 

 私が試行錯誤を繰り返す中、父は言った。「大学院に行きたいなら、お金は出してやるぞ」と。この言葉は、私の教育に対する考え方を大きく変えるきっかけとなった。

 

 このエッセイは、教育の現場で見えてくる真実と、大人としての責任、そして子供たちの未来について考えるためのものである。私たちは、自分たちの行動が子供たちの未来にどのような影響を及ぼすのか、常に意識するべきだと思う。それが、真の教育者の責任ではないだろうか?