4年間で、京大「医学部」3名、阪大「医学部」1名、名大「医学部」1名合格。
誰がそんなルールを作ったのだ!(2)
私も、あわや倒産という危機に何度も陥った。そのたびに、必死で生きのこり策を考えてもがいた。アメリカから帰国して失業したときも、「ダメかも」と思った。土地を買って建物を建てたときも、冷や汗が出た。その後も、病気に入院したり、バツイチになったり、危機の連続だった。
娘たちの大学の学費を捻出したときは、本当に「今回は乗り切れないかも」と夜逃げを覚悟した。そういう危機に陥ったとき、私はいつもゼロから考え直した。「英語の先生が理科を教えるのはムリ」。そんなこと、誰が決めたのだ。
「50代で京大を受けるなんて変」「7回も受けるなんて、おかしい」
誰がそんなことを決めたのだ。中年がネットを使うのは無理。個人が通信添削なんて、ムリ。世の中、チャレンジをしようとすると、誰かの作ったルールだらけ。私は、そういうルールは人をダメにするものだと知っている。
実際、私の指導させてもらってきた成績優秀な子たちも学校の制度を気にしない子が多い。役に立たない宿題は適当に手を抜くし、極端な子は拒否していた。強制的なクラブを拒否していた子もいた。宿題さえ無視している子がいた。
自分の学力、志望校、ライフスタイルが優先で、誰かの決めたルールが自分に合わないのなら、従う必要はない。私は大学受験の5日前にノイローゼで入院騒ぎを起こして痛感した。非人間的なルールに従ったら身がもたない。
以来、私は自分のペースで生きてきた。他人の決めたルールに従っていたら、つぶされてしまう。倒産していったスーパー、塾などはイノベーションに失敗した。旧来のやり方から一歩も出られなかった。その結果は、重大だ。
私の塾生の子たちは、変な子と言われる子が多い。時には、反逆者のレッテルを貼られる。決して、良い子ばかりではないのだ。暴走族のような反逆者ではなく、ニッコリ笑って教師の言うことなど無視する。
「師」と呼ばれるためには、いろいろなことを知っていなければ生徒の質問に答えられない。大学を出て、採用試験を受けて、そのまま親方日の丸の公務員。社会で働いた経験がゼロ。これで、生徒の将来の仕事の相談に乗れるわけがない。
そんなレールに乗ったら、良い教師になれない。はみ出して社会に出る。仕事をして、経験を積んだ後で教師になる。生徒のことを考えたら、それが正しい。でも、社会に出るのは怖い。レールを外れるのが怖い。生徒のことより、自分が大事。
ジャッキー・チェンと「TVジョッキー」で共演しました。
合格実績(高木教育センター)
2016年度(7名) 京都大学「医学部」、京都大学「理学部」、大阪大学「人間科学部」、名古屋大学「経済学部」、名古屋市立大学「医学部」、神戸大学「経済学部」、御茶ノ水大学「理学部」
2015年度(6名) 京都大学「経済学部」、京都大学「総合人間学部」、東京医科歯科大学、大阪大学「外国語学部」、東工大、名市大「薬学部」。
2014年度(4名) 京都大学「医学部」、大阪大学「医学部」、京都大学「工学部」、三重大学「工学部」。
2013年度(3名) 京都大学「医学部」、名古屋大学「医学部」。京都大学「経済学部」。
アメリカの中学校で教師をしていました。 2016年度(7名) 京都大学「医学部」、京都大学「理学部」、大阪大学「人間科学部」、名古屋大学「経済学部」、名古屋市立大学「医学部」、神戸大学「経済学部」、御茶ノ水大学「理学部」
2015年度(6名) 京都大学「経済学部」、京都大学「総合人間学部」、東京医科歯科大学、大阪大学「外国語学部」、東工大、名市大「薬学部」。
2014年度(4名) 京都大学「医学部」、大阪大学「医学部」、京都大学「工学部」、三重大学「工学部」。
2013年度(3名) 京都大学「医学部」、名古屋大学「医学部」。京都大学「経済学部」。
26歳、無職、貯金なし、彼女なし、資格なし、何にもなしだった(2000回再生) https://youtu.be/QnX-TLdhqnw