新聞広告シリーズ ~ 鉄人騎士が参議院選に出馬!(昭和52年07月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和52(1977)年7月。国会のレフェリー役として行動する‼――国際プロレス阿部修(脩)レフェリー(当時52歳)が、7月10日投票の第11回参議院議員選挙(全国区)に無所属で出馬 した際の新聞広告。



阿部レフェリーは反則する選手に ホイッスルで警告 するとか、他では見られぬレフェリングで知られた名物レフェリー。その風貌から“ヒゲの阿部”なる異名でも知られていた。

選挙ポスターや広告に欠かせない「推せん人」には、呉越同舟で所属の 国際プロレス吉原功社長ラッシャー木村グレート草津マイティ井上アニマル浜口大剛鉄之助)をはじめ、全日本プロレスジャイアント馬場ジャンボ鶴田サムソン・クツワダ大熊元司グレート小鹿)、新日本プロレスアントニオ猪木坂口征二ストロング小林)、さらには 佐川急便グループ大村崑芳の里(元・日本プロレス社長)らの名前がズラリ。

当選していれば、元プロレスラー、レフェリーとして初の国会議員になっていたが落選に終わった。

   
                鉄人騎士

この人はプロレス活動と同時に、大映専属の俳優 としても活動しており、大映テレビ室制作でフジテレビの開局記念番組でもあった 少年ジェット(昭和34年)にも、氷の中で300年間も眠らされていた謎の怪人・鉄人騎士 役(悪人たちに騙されて少年ジェットと対峙するシーンはあるが悪者ではない)で出演している。


   昭和34年7月22日(水曜)のテレビ欄

1クールがまるまる鉄人騎士のエピソードであり、少年ジェットはその後も(再)も繰り返されていたから、知名度というか顔の認識度は高い。昭和30年代の少年少女も 昭和52年には選挙権を有していた ので、プロレスのレフェリーよりも、鉄人騎士を前面に押し出したほうが、選挙には有利だったかも? イー・カン・プー!