番宣広告シリーズ ~ 「スター・ウォーズ」がTV初放映された日(昭和58年10月) | 高木圭介のマニア道

高木圭介のマニア道

~浮世のひまつぶし~

ちょうど40年前の昭和58(1983)年10月5日(水曜)。日本テレビ開局30年記念特別番組水曜特別ロードショー として日本テレビで放映された スター・ウォーズ の番宣広告。



日本で映画公開されたのは昭和53(1978)年6月のこと。そこから約5年半、満を持し過ぎてのテレビ初登場だった。

映画公開前から情報が散々乱れ飛び、コカ・コーラやファンタのキャップの裏やら、パチモン含めてのグッズ展開に乗っかり、すっかり耳年増となっていた私だったが、いざ公開が始まり、「夏休みになったら行くか」なんて思っていたら、すでに上映は終わっていた……。

あれだけの話題作だ。少し待てばテレビで放送するだろうと思ってたら、それがなかなかやらない。まだ家庭用ビデオがあるのはお金持ちの家だけだ。公開時、小学3年だった私は中学2年となっていたが、その間に『宇宙からのメッセージ』(東映)やら、英訳したらそのまんまの『惑星大戦争』(東宝)やら、海外産のパチモンかと思っていたら、むしろこちらこそが原点だった『フラッシュ・ゴードン』やら、そのエロパロディ作『フレッシュ・ゴードン』なんかを先に観てしまい、本家たるスター・ウォーズだけは観ていなかった。

子どもにとっての5年の月日は長い。1作目(現在は4作目とカウントするらしい)を観ていないのだから、当然、『~帝国の逆襲』(昭和55年6月公開)も、『~ジェダイの帰還』(昭和58年7月公開)も劇場に行くことはなかった。

さて。いよいよテレビ放送の日がやってきた。すでにスター・ウォーズに興味を失っていた私ではあるが、流行りものには積極的に乗っかるタチなので、当然のようにテレビ視聴することにした。

ところが、ダースベイダー以上に強力な敵がいた。我が父である。我が家にまだビデオはなく、テレビは一家に一台という時代の悲劇がここで起きる。


  昭和58年10月5日(水曜)のテレビ欄

夜8時からチャンネル権を確保していたものの、一向に本編は始まらず、スタジオにてC-3POやR2-D2がタモリや研ナオコと寸劇を繰り広げており、それを横で見ていた父が「まだ始まらないじゃないか!」とチャンネルを水曜スペシャル(テレビ朝日)へと替えてしまう。チラチラと日本テレビに戻しつつチェックして、ようやく映画が始まったかと思ったら、夜9時になると同時に『欽どこ』⇒『特捜最前線』という毎週のルーティン番組に敗北。ついにテレビでもスター・ウォーズ視聴の機会には恵まれなかった。

翌日の中学校教室では ラガー刑事=渡辺徹 (ルーク)や マツ=松崎しげる (ハン・ソロ)、コメットさん=大場久美子 (レイア姫)の吹き替え問題の是非などが議論されていたものだが、前半をチラ見したのみで終わってしまった私はただただヒアリングするのみ。欽どこか特捜の話なら積極的に参戦したのだが……。


  数日後の読売新聞テレビ欄に掲載された投書

以降、かなりオトナになってから VHS LDDVD でようやく視聴がかなったのだが、途中からカウントがややこしくなったせいもあるのだろうが、どれを観て、どれを観ていないのか?も把握できていないぐらい、スター・ウォーズには興味が薄いまま。たぶんDVDは全作持っているはずなのに。

あれから40年、スター・ウォーズは ディズニーのモノ となり、サブスクのディズニープラスでいつでも全作視聴できる環境にある。だがしかし、「いつでも観られる」となると、案外と観ないものである。なにかと黒歴史扱いされる渡辺徹、松崎しげる、大場久美子バージョンの吹き替えもディズニープラスで配信してほしいものだ。