刑事コロンボの日本初放送はUHF実験放送だった | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

『刑事コロンボ』『ジェシカおばさんの事件簿』 の原作者の一人である ウィリアム・リンク 氏が12月27日に心臓疾患のため米ロサンゼルスで死去。享年87。

日本国内でも説明不要な人気シリーズ。現在もNHKのBSプライムや4Kチャンネルで再放送されているのだから、その息の長さは絶大だ。

そんな刑事コロンボの第1回エピソード 『殺人処方箋』 の日本初放送はNHKにて、昭和47年8月27日(日曜)と伝わるが、当日のテレビ欄を眺めても、番組名は見当たらない。


 これは昭和48年2月25日 (日曜) のテレビ欄

意外や、刑事コロンボの日本初放送は当時、将来の放送大学計画に向けて実験中だったNHKの UHF局による実験放送 だったのだ。だから、この当時に生視聴した人はほとんどいなかったと思われる。現在でいう4Kや8Kチャンネルで放送されるコンテンツのような扱いだったのだろうか?


 昭和48年2月25日 (日曜) 、NHK-UHF実験局のテレビ欄

画像は翌昭和48年2月25日(日曜)に放送された 『パイルD-3の壁』 放送回のもの。いわゆる首都圏での1ch、NHK総合放送で 『殺人処方箋』 が放送されたのは、昭和47年12月31日(日曜)午後3時からのこと。UHF実験局での月1回の放送はその後、昭和48年12月23日放送『二つの顔』まで続くことになる。NHK総合での週1回のレギュラー放送は昭和48年7月7日(土曜)からスタート。日本人の多くは、この放送にてコロンボの存在を知ったと思われる。

NHKのUHF実験局は昭和50年7月に実験の役割を終えて休止。首都圏の実験局電波は UHF14ch が使用されたため、20年後の1995年に開局する 東京MXテレビ (※アナログ時代)同じ電波だったということだ。