映画広告シリーズ ~ 倉田保昭主演?『帰って来たドラゴン』(昭和49年3月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和49年3月、ブルース・リーに端を発する功夫映画ブームの真っただ中に公開された香港映画 『帰って来たドラゴン』 (CALL ME DRAGON=ウー・セイ・ユーエン監督)の新聞広告。



世界的に大ヒットした 『燃えよドラゴン』 は日本でも昭和48年暮れに公開されて人気を呼んだが、すでにその時、主役たるブルース・リーがこの世にいない(1973年7月20日に死去)という、複雑な状況での功夫映画ブーム等到来だった。

そのため、数々のブルース・リー亜流スターを生み出すことになったが、すでに香港映画界で悪役を中心にスーパースターとなっており、当のブルース・リーとも交流があった 倉田保昭 を、日本の映画会社が 「和製ブルース・リー」 として売り出そうとしたのは当然の流れだったと思われる。

「第2のブルース・リー 遂に登場!」

「日本が生んだスーパースター 倉田保昭 二十八才」

「驚異のバネ! 柔軟な肢体! ビルを猿のごとくかけ上り、地上20米を一気に飛びおりる!」

「俺を 《ドラゴン》 と呼べ」

「ドラゴン 対 ブラック・ジャガーの激突!」


などなど、広告内で目を引くコピーを眺める限り、国産スターの倉田こそが主役で、主人公のドラゴン役なんだな…と思わずにいられない。

だがしかし、主役のゴールデン・ドラゴンを演じているのは 「ブルース・リーの愛弟子」 とも表記されている ブルース・リャン のほうで、倉田は敵役であり、最後はリャン演じるゴールデン・ドラゴンに殺されてしまうブラック・ジャガーを演じていたりする。

こうしたトリッキーなトラップが多いのもまた、香港映画の魅力ではある。