番宣広告シリーズ~国際プロレスと 『闘え!ドラゴン』 (昭和49年6月) | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

昭和49年6月、ビル・ロビンソンラッシャー木村倉田保昭ブルース・リャンの四強者が前面に押し出された東京12チャンネル 『月曜スポーツスペシャル~国際プロレス中継』 (6月3日放送)と、ドラマ 『闘え!ドラゴン』 (7月2日放送スタート)の番宣広告。

 



人間風車金網デスマッチの鬼和製ドラゴン、星の数よりも多いと称されるブルース・リーの亜流スターの中でも実力者と一目置かれてるブルース・リャン(梁小龍)が並び立つ新聞広告は、おそらく全世界でもこれだけだろう。

この時、『月曜スポーツスペシャル』で放送された国際プロレス中継は、同年9月から団体が崩壊する直前の昭和56年3月まで、『水戸黄門』 の裏番組になりがちな月曜夜8時や、『8時だョ!全員集合』 の真裏となる土曜夜8時枠でレギュラー中継されていた。

 



ブルース・リーはすでに故人となっていたが、当時の日本国内は大変なカンフー映画ブーム。香港映画界でも最高峰の日本人成功者となっていた倉田保昭を主演に迎えての『闘え!ドラゴン』の放送スタートは、東京12チャンネルでも、放送開始の1か月も前に、このような広告を入れてくるあたり、よほど力が入っていたと見える。

どちらの番組も飛び蹴りにて物語が結末に至ること多し…という共通点はあるのだが、それまで東京12チャンネルの火曜夜7時30分といえば、アニメ版の 『ダメおやじ』 を視聴していたという流れで、『闘え!ドラゴン』はリアルタイムで視聴していた。

 



第1話から舞台は香港で、12チャンネルらしからぬ国際的な設定とあり、海外産ドラマなのかと思っていたほど。タイガーバームガーデンを舞台に筋肉ムキムキの怪人(ヤン・スエ)と死闘を繰り広げたり、仮面ライダーにおける滝和也のようなポジションで登場したブルース・リャン(その正体はインターポール捜査官)と切れ味鋭い殺陣を披露したり…と。

小柄なブルース・リーの殺陣よりも、長身で足も長く、白いジーンズがよく似合う倉田保昭の蹴りのほうがカッコ良く見えたもの。第4話を過ぎたあたりから、舞台は香港ではなく、とても身近な多摩川河川敷とかも増えてきたのでアレ?…とは思いつつ。

途中、12チャンネルつながりで国際プロレスからマンモス鈴木(当時はレフェリー)が悪役としてゲスト出演(※セリフは吹き替え)したことがあったが、伊豆大島を舞台とした最終回では、ラスボス的な四天王のうち2人が、国際プロレスではなくジャイアント馬場率いる全日本プロレスから羽田光男(ロッキー羽田)と伊藤正男だったのは何故??? あともう一人は『ダイヤモンド・アイ』の主人公・ライコウこと雷光太郎(大浜詩郎)だった。

番組ラストで、テロップとともに倉田保昭本人が恐ろしいほどの棒読みで「空手を見よう見まねで使うのは絶対やめましょう」と注意喚起していたものだ。幼稚園児ながら、見よう見まねで真似してたけど。

数年後には倉田保昭が草野刑事として登場し、香港カラテの怪人(ヤン・スエ)やブルース・リャンも何度となく登場していた 『Gメン'75』 (TBS)によって、「♪ドラゴンという思い出を~」もイメージ的に上書きされちゃうんだけれど…。