横綱・北の湖さん追悼~人間は本当に瞬時に青ざめる… | 高木圭介のマニア道

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~浮世のひまつぶし~

 第55代横綱・北の湖さんが11月20日に亡くなった。享年62。


 私の年代だと、北の湖こそが体型から佇まいまで含めて「ジス・イズ・お相撲さん」であり「ジス・イズ・横綱」。実際に「江川・ピーマン・北の湖」なんて口にしたことはなかったが、その圧倒的強さから、やっぱり輪湖対決のときはスマートな輪島を応援したモノだし、勝っても負けても仏頂面である北の湖の時代があってこそ、後のスマートで筋肉質な千代の富士の人気急上昇もあったことと思う。昭和40年代、バカボンのパパがよく「大鵬とジャイアント馬場、どっちが強いのだ?」と質問していたように、昭和50年代に入ると小中学生の間では「北の湖とアントニオ猪木、どっちが強いのかな?」みたいな会話がされていた。


 そんな北の湖さんに対して、別にご本人に会ったわけでもないのだが、一風変わった思い出がある。


 あれは昭和62(1987)年。高校3年生のときだった。当時、神奈川・武蔵小杉にある法政二高に通う高校生だった私は、レスリング部の練習中、事故で後輩の右腕の骨を折ってしまった。すぐに高校の近所にある学校指定の病院へと後輩を運び込む。人間は腕や足といった大きな骨を折ると、すぐにブルブルと悪寒とともに震えがくる。なので後輩の上半身に毛布をかけつつ、病院の待合室で今か今かと治療の順番を待っていた。


 その時だ。中年男性に抱きかかえられた小学校1年生の坊やが、慌しく病院へと運び込まれてきた。坊やは中年男性の運転する車にハネられてしまい、その加害男性によって救急で病院へと運び込まれてきたのだった。


 すぐに飛び出てきた看護師さんに「こちらの救急治療を優先させてもらいますが、いいですよね?」と言われる。「ええ。どうぞどうぞ」と順番を譲る私と後輩。こちらはどちらにせよ腕が折れているので、急いだところで腕の骨がくっつくワケでもない。


 交通事故なので、待合室には数人の警察官もやってきて運転手に事情聴取を始める。折れた右腕を固定した後輩と私は、そんな模様を狭い待合室にて、しばらく眺めているハメになった。どうやら坊やが道路に飛び出してきて、車にハネられてしまったということだ。


 意識はちゃんとしている坊やに、警官が「お家の住所は?」とか聞いているのだが、どうもこの辺りの子どもではないようだ。お母さんの実家に遊びにきていている最中の事故だったようで、坊やにはその住所がハッキリと言えない。


 続けて坊やと警察官たちの会話を聞いていると「えっ…北の湖部屋?」「じゃあ、君のお父さんは、あの北の湖なの?」みたいな声が聞こえてくる。どうやらハネられた坊やのパパは約2年半前に引退した天下の大横綱・北の湖のようだ。


 その事実を聞いた瞬間の運転手さんの表情ときたら……。私は今まで生きてきて、人間がこれほど瞬時に青ざめた光景を目撃したことはない。


 幸い坊やは軽傷で済んだ模様で、続いて後輩の治療がスタート。ようやく治療を終えた後輩と私が病院を後にする頃、待合室には明らかに元力士とおぼしき恰幅の良いスーツ姿の男たちが到着し、坊やを連れ帰って行ったのだった。