孫子は、正攻法に奇策を混ぜるのが良いと述べています。

そして、孫子の虚実篇には攻撃が上手い者は敵の隙を攻撃して、守備が上手い者は敵に隙を見せないと書かれています。

「進みて禦ぐべからざる者は、其の虚を衝けばなり。退きて追うべからざる者は、速かにして及ぶべからざればなり。故に我れ戦わんと欲すれば、敵塁を高くし溝を深くすと雖も、我れと戦わざるを得ざる者は、其の必らず救う所を攻むればなり。我れ戦いを欲せざれば、地を画してこれを守ると雖も、敵我れと戦うことを得ざる者は、其の之く所にそむけばなり。」

(進撃した場合にそれを防ぎ止めることのできないのは、敵のすきをついた進撃だからである。後退した場合にそれを追うことのできないのは、すばやくて追いつけない後退だからである。そこで、こちらが戦いたいと思うときには、敵がたとい土塁を高く積み上げ堀を深く掘って城にこもって戦うまいとしても、どうしてもこちらと戦わなければならないようになるのは、敵が必らず、救いの手を出す所をこちらで攻撃するからである。こちらが戦いたくないと思うときには、土塁を積んだり堀を掘ったりして固めるまでもなく、地面に区切りを画いて守るだけでも、敵にはこちらと戦うことができないというのは、敵の向かう所をはぐらかすからである。)

攻撃が成功するのは敵の手薄なところを狙うからであり、退却するのが上手いのは敵に退却すると思わせないでいつの間にか退却するからです。

戦国時代に織田信長は攻撃するセンスが抜群でしたが、その重臣の佐久間信盛は退却するのが上手かったと言われています。

多様な才覚こそが軍団の強さでした。

孫子は敵が態勢を整えて出てこないような時には、出てこざる得ないところを攻撃しておびき出して戦うと述べています。

また、敵に攻撃させないためには、敵に攻撃すべきところがわからないように騙すのが良いと述べています。

孫子は「兵は詭道なり」と述べていますが、敵をうまく騙した方が勝ち、戦いは心理戦でもあるようです。