1835年5月31日(天保6年5月5日)に幕末の新撰組の副長の土方歳三が生まれました。


幕末の京都は薩長のテロリストが暗躍してそれを取り締まる必要がありました。


その役目をしたのが新撰組です。 


新撰組の厳しい隊規を考案し、裏切り者やはみ出し者に容赦の無い刃を浴びせた土方歳三は、鬼の副長と呼ばれました。


新撰組の時の土方歳三は、冷酷な人物と思われていました。


また、東北の列藩同盟では生殺与奪権を求めています。


しかし、箱館戦争にまで従った新選組隊士の中島登によれば、箱館戦争のときには温和で、母のように慕われていたといいます。


この頃には若い隊士を度々飲食に連れ歩いたり、相談事に乗ったりするようになったとも言われています。


年齢を経て丸くなったというよりも官軍ともはや勝目の薄い戦いの中、自分の死に場所を見つけたという悟りに近い気持ちがありました。


また、明日にも闘いで命を落とすかも知れない隊士の士気を上げる為の計算の上であったそうです。


しかし、死の直前に側にいた市村鉄之助に遺髪と写真を渡し、「日野の家族の元に届けてくれ」と命じます。


市村鉄之助は「私はこの地で討ち死にする覚悟でやってきました。誰か別の者に命じて下さい」と拒否します。


それを聞いた土方歳三は「断るとあらば、今この場で討ち果たす」と鋭い眼光を向けて言い放ちます。


その土方歳三の気迫に圧されて市村は首を縦に振りました。


日野に旅立つ時、市村鉄之助は窓に人影が写っていることに気づきます。


「誰かは解りませんでしたが、おそらく土方さんだったのだと思います」と語り残しています。


その後、市村鉄之助は日野宿の佐藤彦五郎の元に無事届けています。


結果的に土方歳三が若い市村鉄之助の命を助けたことになりました。


土方歳三は、農民から武士になりましたが、武士以上に武士らしい人でした。



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