1147年5月9日(久安3年4月8日)に鎌倉幕府をつくり、征夷大将軍に任ぜられた源頼朝が生まれました。

 

源頼朝は、清和源氏の源義朝の三男として生まれます。


父の源義朝が平治の乱で敗れると平清盛に伊豆国へ流されます。


平清盛が源頼朝に情けをかけて命をとらなかったことは後世の教訓にされます。


織田信長は敵の子孫を残さないようにして、徳川家康は後世の憂いをなくすために豊臣秀頼を滅ぼすという非情な決断をしています。


源頼朝は伊豆で以仁王の令旨を受けると、舅の北条時政、北条義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧します。


源義経などの弟たちを代官として従兄弟の源義仲や平氏を倒し、戦功のあった末弟の源義経を追放した後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定しました。


そして1192年に征夷大将軍に任じられました。


官位や征夷大将軍は朝廷から任じられるものですが、朝廷から独立した政権が作られて鎌倉幕府となります。


源頼朝の死後、御家人の権力闘争によって源頼朝の嫡流は断絶し、その後は、北条義時の嫡流が執権となり鎌倉幕府の実権を握るようになります。


歴史を見ると天下はじわじわと領土を拡げてとるものではなく、実力者が時を得て一気に取るものであるようです。


徳川家康も関ヶ原の戦いで天下を決しました。 

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