1497年4月16日(明応6年3月14日)に戦国時代の中国地方の覇者の毛利元就が生まれました。


安芸国(広島県)の小規模な国人領主に過ぎませんでしたが、暗殺や買収、婚姻や養子縁組など様々な権謀術数を駆使して中国地方のほぼ全域に勢力を拡大し、一代で大国を築き上げました。


用意周到かつ合理的な策略および危険を顧みない駆け引きで、自軍を勝利へ導く策略家として知られています。


子孫は長州藩の藩主となったため、長州藩の始祖でもあります。


毛利元就は最初に尼子氏の支配下に入りますが、安芸国の国人領主たちの大半が大内氏に寝返ったのを待ってから大内氏に寝返りました。


性格は慎重で思慮深かったようです。


また、中国地方の覇者になってからも配下の国人領主たちにも礼をつくしました。


謙虚であったからではなく、それが毛利元就の人心収攬術でした。


長男の毛利隆元は財政手腕に優れ、次男の吉川元春は、武勇に優れ、三男の小早川隆景は知略に秀でていました。


三人の幼い時に雪合戦をしている姿を見て、吉川元春は前に果敢に出る戦い方をして、小早川隆景は様子をうかがう慎重な戦い方をしているのを観察し、吉川元春を山陰地方の猛者が多い吉川氏の養子にし、小早川隆景を山陽地方の海賊や知者が多い小早川氏の養子にしました。


子どもの特性により教育を変えた例です。


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