1643年1月4日にイングランドで物理学者のアイザック・ニュートンが生まれました。

日本は江戸時代です。

体が小さく内向的で目立たぬ子だったため、友人たちのからかいの対象でした。

しかし、あるとき自分をいじめた少年と喧嘩をして勝ったことをきっかけに、自分に対する自信をもつようになったとされています。

母は義父が遺した農園を継がせようとしましたが、アイザック・ニュートンが読書ばかりしていたため、百姓向きではないと思い、将来のことを親類や友人等に相談し、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学ばせるほうがよいという助言で進学させました。

ここでニュートンはアイザック・バローという良き師に巡り会うことになります。

ケンブリッジにおいて1663年に開設されたルーカス数学講座の初代教授に就任したアイザック・バローは、ニュートンの才能を高く評価し、1664年には奨学金がもらえるスカラーにしてもらうことができ、さらに翌年には学位を授与されることになります。

バローは時間、空間の絶対性を重要視するプラトニズムの数学者であり、ニュートンの思想にも大きな影響を与えます。

アイザック・バローとの出会いによってニュートンの才能は開花し、1665年に万有引力、二項定理を発見、さらに微分および微分積分学へと発展することになります。

微分積分学を厳密な学問として確立させたのがゴットフリート・ライプニッツです。

当時はライプニッツがニュートンのアイデアを盗作したと非難されましたが、現在では独自に微分積分学を確立し発展させた1人と認められています。

逆にニュートンがライプニッツのアイデアを盗作したという疑いもあります。

また、もともとはニュートンと近しく友人だった自然哲学者ロバート・フックは、後にニュートンをフックの万有引力に関する説を盗んだ者と見なし憎むようになります。

また、ニュートンのほうもフックを憎み、王立科学協会で実権を握ると、協会にあった唯一の大切なフックの肖像画をこっそり処分してしまったといわれています。

名が知れた人は立派な人だと錯覚しがちですが、偉人や有名な人が清い人とは限りません。

イギリスの経済学者のJ.M.ケインズも、幼い時からニュートンの脚色された美談を聞かされて育った一人でした。

しかし、その愛着のあるアイザック・ニュートンについて調べるために、ケインズは自筆原稿を購入して長年かけて本当のニュートンを研究してみた結果、実はニュートンについて自然科学者が語っていたことはニュートンの実像とは程遠いというと考えるようになったそうです。

そして、ニュートンを最後の魔術師、片足は中世におき片足は近代科学への途を踏んでいると評するようになりました。

アイザック・ニュートンは、ライプニッツの微分積分学やフックの万有引力のアイデアを盗作し、純粋に真理を求める科学者ではなく、権力欲も強い人物であったようです。

しかし、ライプニッツの微分積分やフックの万有引力のアイデアを理解する能力はある厄介な人物でもありました。