1883年1月1日に自由民主党初代総裁で戦後に総理大臣を務めた鳩山一郎元首相が生まれました。

戦前は文部大臣を務めました。

第二次世界大戦終結後、1946年の総選挙で日本自由党が第一党になり、鳩山総裁が首相の指名を待つばかりとなります。

しかし、就任を目前にして戦前に陸軍の東条英機らに倒閣を持ちかけるなどの統帥権干犯問題を発生させたこと等をGHQが問題視したため、1946年5月7日公職追放になります。

そして、代わりにライバルの吉田茂が首相になります。

1954年に吉田茂元首相の人気が落ちると復帰して首相になります。

1955年に盟友で寝業師と言われた三木武吉の尽力により日本民主党と自由党の保守合同を成し遂げ、自由民主党を結成します。

1955年に保守の自由民主党と革新の社会党が確立したため、55年体制と言われ、戦後長らくその状態が続きます。

大きな功績は日ソ共同宣言で日本とソ連の国交を回復したことです。

北方領土問題を解決後に平和条約を結ぶことになりますが、現在まで北方領土問題は解決していません。

また、日本の独立確保という視点から再軍備を唱え、改憲を公約にしていましたが、与党で改憲に必要な3分の2議席には達しませんでした。

『友愛』という言葉を好みましたが、その行動は権力志向で野心的でもありました。

外交政策は吉田茂元首相のほうが優れていたと思います。

吉田茂元首相のようにアメリカの軍事力を利用しながら自衛隊の戦死者を出さないずる賢い外交政策が必要です。

また、あいまいにしておくことや現状維持も高度な外交手法です。