1187年11月30日(文治3年10月29日)に奥州藤原氏の3代当主であった藤原秀衡が亡くなりました。

藤原経清、藤原清衡、藤原基衡、藤原秀衡、藤原泰衡が奥州藤原氏の5代と言われています。

そしてもっとも栄華を極めたのが藤原秀衡の時です。

奥州は豊富な金と馬を産み出し、朝廷に献上して、陸奥守や鎮守府将軍に任じられています。

金といえば平安時代の奥州藤原氏の東北、戦国時代の武田信玄の甲斐(山梨県)や今川義元の駿河(静岡県)、安土桃山時代の佐渡が有名で、銀といえば出雲(島根県)が有名です。

江戸時代には関西では銀の価値が高く、関東では金の価値が高かったため、関東と関西で金と銀を持ち運ぶだけでお金を稼いだ両替商もいました。

奥州藤原氏は、桓武平氏が繁栄した平清盛の治世にも独立した存在で、源頼朝の異母弟の源義経を庇護しています。

源頼朝が関東を支配するようになると馬と金を贈るように要求してくるようになります。

そして源頼朝と源義経が対立するようになると奥州藤原氏は源義経に味方しました。

源義経がいなくても東北の奥州藤原氏は、源頼朝の目の上のたんこぶであり、常に狙われていた存在でした。

奥州藤原氏を題材にした歴史小説には高橋克彦さんの『炎立つ(ほむらたつ)』や吉川英治の『新・平家物語』があります。