1288年11月26日(正応元年11月2日)に第96代天皇の後醍醐天皇が生まれました。

鎌倉時代は第89代天皇の後深草天皇の持明院統とその弟の第90代天皇の亀山天皇の大覚寺統の子孫が交互に天皇に即位するという慣例ができていました。

後醍醐天皇は大覚寺統になります。

しかし、後醍醐天皇はその慣例を破り、自らの子孫に皇位を継がせようとして鎌倉幕府の倒幕を企てます。

そして挙兵しますが圧倒的な兵力を持つ幕府軍に敗れて捕らえられ、隠岐島に流されます。

そして慣例通り持明院統の光厳天皇が即位します。

しかし、その後に名和長年の力を得て隠岐島を脱して楠木正成や新田義貞、足利尊氏らによって鎌倉幕府を倒し、再び天皇に即位します。

そして建武の新政を始めますが、平安時代のように武士たちを公家の下に置き、恩賞の再分配や領地の安堵などが上手くいかず、足利尊氏に武士たちの人望が集まり始めました。

足利尊氏は財産に執着がなく豪胆な人格であったと云われています。

後醍醐天皇は、楠木正成や新田義貞に足利尊氏討伐を命じて京都から追い払いますが、足利尊氏は九州から再起して楠木正成や新田義貞を討ち京都を奪い返します。

そして足利尊氏は持明院統の光明天皇を即位させて北朝を立て、後醍醐天皇は吉野で南朝を立てて南北朝時代が始まります。

足利尊氏は天皇に勝った日本史上でも稀有な人物です。

天皇、しかも日本史上でも名君とされる後醍醐天皇を破った足利尊氏は相当魅力的な人物であったのでしょう。

しかし、対立していた足利尊氏は、後醍醐天皇が亡くなると弔い、天竜寺を創建します。

現在の皇室は北朝の流れです。

南朝が正統であるという争いは、昭和の戦後まもなくにもその子孫を名乗るものが現れて起こりました。