1971年11月14日に言語学者の金田一京助が亡くなりました。

長男の金田一春彦や孫の金田一秀穂さんも言語学者です。

金田一(きんだいち)家は、言語学者として続いた珍しい家系ですが、意図して子どもに言語学を学ばせたのではないようです。

金田一秀穂さんもパチンコに明け暮れた暮らしから言語学を研究する道に進みました。

社会学者のブルデューの考えにハビトゥスというものがあります。

親から子に影響を与えるものに文化的資本があるという考えです。

高学歴の親の子が高学歴になりやすいのは金銭だけでなく、親の普段の習慣が影響を与えているというのがハビトゥスです。

金田一京助はアイヌ語の研究をしました。

アイヌ語はアイヌ民族が少なくなり滅びゆく言葉になりつつありました。

今でも大学の語学の授業ではアイヌ語もあります。

また、親友の石川啄木は放蕩をし続けましたが、金田一京助は援助をし続けました。

その他にも横溝正史の『金田一耕助』は、金田一京助の名をアイデアにしたと言われています。

金田一春彦さんは横溝正史さんにより金田一(きんだいち)という読みづらかった名前が広まったことに感謝しました。

今では金田一家は日本で有名なファミリーの一つです。