1931年11月11日に数々の企業や東京証券取引所などを創業した日本資本主義の父である渋沢栄一が亡くなりました。

西に五代友厚がいれば、東には渋沢栄一がいました。

五代友厚が49歳で亡くなったのに対して渋沢栄一は91歳まで生きました。

現在の埼玉県深谷市に生まれ、最初に最後の将軍の徳川慶喜に仕えました。

フランスで株式会社の制度を知り、生涯で500社以上の企業設立にかかわります。

しかし、岩崎弥太郎の三菱や三井、住友のように財閥をつくることはありませんでした。

著書の『論語と算盤』では、道徳と商売の両立が説かれています。

不道徳な方法で富を得ることを戒めていて、社会に還元する商売を述べています。

後世のピーター・ドラッカーの主張にも似ています。

しかし、実情はそうはいかないことが多いでしょう。

会社をつぶさないように利益を上げられるか日々怯えている経営者が多いと思います。

しかし、渋沢栄一やピーター・ドラッカーの理念は経営者を高みに上げてくれます。