1877年9月24日
西郷隆盛が西南戦争で亡くなりました。

西南戦争を起こしたため、逆賊になりましたが、その死後も明治天皇は慕っていました。

坂本龍馬などの幕末の志士は靖国神社に祀られていますが、西郷隆盛は逆賊であったため、靖国神社には祀られていません。

しかし、天皇陛下から国民に譲られた上野恩賜公園には西郷隆盛の銅像があります。

西郷隆盛は、明治維新後に征韓論を主張したため、今は内政を充実させて国力を強化するべきだと主張した大久保利通や木戸孝允らと対立します。

そして西郷隆盛は、すべての官職を返上して鹿児島に帰ります。

西郷隆盛自身は隠居のつもりでした。

しかし、そこで青年らに押されて西南戦争を起こします。

西南戦争では薩摩の強兵をもっても、熊本城を落とすことができなかったため、加藤清正に敗けたと述べたとも云われています。

最期まで部下のせいにせず、「もう、よか」と述べて皇居の方角に向かい、潔く切腹しました。

西郷隆盛が流罪になった時に知った敬天愛人とは、すべての運命を受け入れて人を大事にするということです。

薩摩藩の国父の島津久光の機嫌を損ねて島流しにされるという大きな挫折を経験しましたが、そこから倒幕を果たしました。

時に不運なことやおもしろくないことがあると人を粗末にしがちでもあります。

西郷隆盛は、耐え忍び人を受け入れる器があった大将らしい大物でした。