12年4ヶ月前 | たか。の日記

たか。の日記

朝のウォーキング
ちびっ子レスリングの練習
マフィンママのマフィン
庭の花について投稿します。

師と仰ぐ人

レスリングを高校から始め
山中道雄先生、平沼秀雄先生に
レスリングの基礎をしっかりと教えていただきました
なかでも山中先生のタックルに対しての思いは強く
僕はすっかりタックルの虜になっていました
強烈なタックルを身に着けたいと日々練習続けてました。

高校時代には先生以外に数多くのOBにもお世話になりました
中でも大久保勝先輩はコーチとして
仕事が終わると必ず練習にかけつけてくれました。

高校時代に何の実績も残していない僕を
大学でも競技生活を続けるように進言してくれた山中先生
調理師になりたくて専門学校のパンフレットを取り寄せ
大阪に行く覚悟までしていた僕が進路を大きく変更しました。

大学に入学して
当時の佐藤明弘先生と藤沢信雄コーチと出会い
レベルの高いレスリングと触れ合うことが出来ました
高校時代に全く実績がない僕は
体力だけは十分通用しましたが
レスリングでは全くついて行けずキツかったです。

そして何よりも気持ちが弱かった・・・
監督が全日本級と言って下さっていたタックルも
試合になるといつも不発
いつも「お前には意地がない」と言われていました(笑)

それでも弱いのは相変わらず・・・
大学時代にはよく全日本合宿に参加させていただき
多くの全日本級の選手とスパーリングをして
そして色々なトップ選手のレスリングを観ることが出来ました。

大学3年になってようやく勝ち星を拾えるようになりましたが
僕の大学時代の実績はインカレベスト16が最高で
同級生の誰よりも低かったんです。

それでも
佐藤監督も藤沢コーチも見捨てずにいてくれたことに本当に感謝しています。

大学卒業後
実績のない僕を高校のコーチとして
山中先生と平沼先生が迎えてくれました。

非番の日は毎日高校の練習に参加して
高校生とのスパーリング
そして僕自身の鍛え直してくれたのが平沼先生でした。

平沼先生とは10歳差
スパーリングは熾烈を極めました。

約5年間のコーチ生活で二人の選手が
僕の出場出来なかったインターハイに出場してくれて
勝ち上がってくれたときの喜びは今でも忘れません。

その後レスリングからは20年も離れて
剣道の指導者を13年続けていたとき

大久保勝先輩から
山中道場の手助けをしてもらえないかと言われました。

喜んで引き受けさせていただいて
リョウセイや山中道場の子ども達と出会って
非常に充実した日々を送らせていただいています。

レスリングに無理解な人が多くて
気持ちがめげることも沢山ありましたが

子ども達の頑張りがいつも感動を与えてくれます。

これも弱くてどうしようもなかった
諦めずにレスリングを続けさせてくれた
多くの師がいたからだとあらためて感謝します。

第1回山中杯少年少女レスリング大会直前に
山中先生が病気で倒れて試合を観て貰えなかったこと
僕の手作りの横断幕を褒めて下さって
楽しみにしていたんですけどね・・・

埼玉総体で
埼玉栄が3位、花咲徳栄が準優勝をした日に
それを見守っていたいたかのように息を引き取った山中先生

それだけが残念で仕方がありません。


facebookこれを書いてから
12年4ヶ月が経過しました

未だに子ども達の可能性を想像して
レスリングを楽しんでいます🤼