普段書いてるブログってディスな内容が多いんだけど、それはちゃんと理由があるの。
良い情報を発信するよりディスな内容を発信した方がまだ意味があるから。
良い情報を発信しても、ほぼなんの役にも立たない。
なんでかって言うと、良い話をしてもその情報を得て満足するから。口だけ達者になるから。
そもそも良い話をネットで読んでないで、良い「体験」をした方がいい。
人が体験した話を情報で消化するから、感動も生まれない。
良い話なんて刺激が弱すぎる。
「俺も見習おう!」って思って終わり😂
意味ねーー!!笑
でね、良い話を書いて、それを細部まで理解してくれる人は、普段良い体験をしてる人だから俺の話を読んでも役に立たない。
良い経験をしてる人もしてない人も「そんなことはわかってる」と思って終わり。
もちろん、経験としてわかってる人と、知識でわかってるだけの人に分かれるけど。
じゃあディスな内容がなんでいいのか?って話なんだけど。
少しでも思い当たる節がある人がいればいいから。みんな基本的に都合の悪いことからは目を背けるから。何か少しでも気づいてもらえるキッカケになればいいなって思ってる。
この辺もニュアンスが難しいのだけど。
ディスな内容を書いたときに、
その内容に当てはまる人と、当てはまらない人がいる。
当てはまらない人は読んでも意味ない。
当てはまってないと思い込んでる人も読んでも意味ない。
当てはまって反発してくる人、これも意味ない。
当てはまってることに気づく人、この人に読んでもらえればなって思ってる。
だからほとんどの人は読んでも意味ない。
でも、無駄だからやらないってことはしない。それじゃあ何も変わらないから。
別に世界を変えたいとかそんな大きなことは思ってないし、そもそも何やっても変わらない人は変わらないから、そういう兆しのある人は相手にしない。その人を変えるほど力もないし、今の俺が変えようとするのは極めて時間の無駄。お互いに何も生まれない。
なので文句言ってくる人はシカト。
無駄な人が読まないようにあえてディスな内容にしてるのもある。
ディスな内容から目を背ける人たちは文句も言わずに去って行ってくれるからね。
反対に良い話を書くと、そういう人たちは食いついてきちゃうから。
「みんなやるべき!」って言って自分は何もしない感じ。それこそ「見習おう」って思って終わる。
上っ面の気づきって全く役に立たないし、そこに気づいても根本的な部分に気づかないと意味ないんだよ。
根本的な部分に気づくには強烈な刺激が必要になる場合が多い。
それにはちゃんと根拠があって、自分がそうだったし、周りを見てても間違いはない。
だからディスな内容が多いの。
自覚しないと何もよくならないんだよ。
そして、優しい言葉だとスルーされちゃうからね。