今日は平成29年7月27日(金)。この時期になるとどうしても「戦争時代」の話題が多くなります。私は基本的に「日本人は戦前も戦後も誠実な民族だった」と考えているわけです。戦前にも杉原千畝(すぎはらちうね)氏のような立派な外交官もいましたし、戦後の日本は世界有数の難民援助国家の一つです。

 

 

 杉原千畝氏についてはもう説明の必要はないでしょう。杉原氏がリトアニアのカウナスの領事代理をしていた際、ユダヤ人難民に2000通もの通過ビザを発行し、その結果6000名ものユダヤ人家族がナチスの虐殺から逃れられたことを。

 

 

 でも、なぜユダヤ人たちは日本領事館に押し寄せたのでしょうか?杉原氏がユダヤ人難民たちに通過ビザを発給しだしたのが1940年7月なんですが、実は3年前の1938年3月にもシベリア~日本を経由してアメリカに逃げたユダヤ人たちがいたんです。この時、ユダヤ人の脱出に尽力したのが当時、日本陸軍少将だった樋口季一郎氏。ユダヤ人たちは「シベリア~日本~アメリカ」の脱出路を「ヒグチルート」と呼んでいました。

 

マイムマイムは泉を見つけた喜びの踊り

 

 それと、杉原千畝氏が送り出した6000名ものユダヤ人家族を受け入れた日本人がいたこともあまり語られていません。在ウラジオストック総領事代理の根井三郎氏やユダヤ研究家の小辻節三氏、外務大臣の松岡洋右氏などもユダヤ人家族がアメリカに渡航できるように尽力しました。私は、戦前にも人道的な日本人は数多くいたと思うんです。