去年の今日、のぞみんのところで心屋の初級コースを受講した。
心屋の名前は何年か前に度々聞いていたけれど、その時は色々な考え方の一つとして、であった。面白いと思ったけど、それ以上の興味もわかなかった。
その頃は自分が実は相当に行き詰まって悩んでいて生きにくいと感じていたなんてこともあまり自覚がなくて、そんな状態が普通の状態なんだと思い込んでいて、それは自分の心のあり方一つで解決できるものだという発想もなかったし、一生上を見て努力し続けることにしか意味がないと思い込んでいたし、基本環境がよくないとか、周りが悪いと思ってもいたし、・・・とにかく、今思えば窮屈そうなのだけれど、それが「正しい」という気持ちが強かった、ような気がする。
そこから心屋を受け入れるまでにはいろいろあったのだが、長くなるし今は面倒なのでやめておく。
とにかく、心屋のセミナーというのを受けてみよう、と考えるようになったのだが、当時は申込を決めるのでさえ相当な勇気が必要だった。
上級やマスターと違って、初級は1日完結。受講料は22,000円。
今思えば、気軽に受けられそうな部類に思えてしまうが、その頃は6000円のセミナーでさえ高いと感じていたし、1日セミナーで終わるのが夜になってしまうというのはかなり抵抗があった。
「まず無理」と思い込んでた。
家をあけて、帰りが夜になってしまうような自分だけのやりたいことをするなんてよくない、ダメだと思ってた。
だから、さいたまの、比較的近いところでの開催だったというのは、本当にラッキーだったと思う。
もしこれが東京とか、ちょっと遠くでしか受けられないものだったら、多分申込の段階でハードルの高さに諦めていたと思う。
もちろん、距離とか時間とか経済的な対価というのは、自分の本気度が試されるという意味でも必要に応じて設定されてるものなんだろうけど、やはりきっかけって大事かなと思う。だから、多分私にとってはラッキーであったと同時に、その時でもあったということなんだろう。
何やるのか、何人くるのかもわからずに、ただ、これを受ければ何かが変わるかもしれない、という根拠の無い期待だけで受けることになった初級コース。
その時の参加者は私を入れて4人。
どうしてこの人達は受講しようと思ったんだろう、この人達も心屋の理念に共感してるんだろうなあ、とか思うと、不思議な気持ちだった。
今でも若干ニガテな、書き出しワークや、隣の人と何か言い合うようなワークも、とにかく、よくわかんないけど言われたとおりにやってみよう、とがんばった。
説明聞きながら、ああそういうことか、と腑に落ちたところもあったし、よくわかんないところもあったけど、あー、きっと何かが変わるんじゃないかなあ、という気がしてた。
よくわかんないけど、とにかくやってみよう、って思った。
その記憶は700%ウソ、らしいw
たまたま、そこでオーロラツアーの話を聞いて、せっかくだから行ってみようか、と思った。
実は、私は旅行にもオーロラにもさほど興味はなかったんだ。
何泊もするんでしょ? どうせお高いんでしょ?
「私には無理、関係ない」の象徴みたいなものだった。
だから、別にそこで話にのらなくてもよかったはずなんだ。
なのに、何故か私の思考とは真逆に、「積極的に行く方向で考えます」などと、私がその場で勝手に話を進めていた。
これは今思い返してもかなりナゾな行動だったけれど、確かたまたまその数日前くらいに、何かの瞬間にふと、「パスポートつくらなきゃな」という考えが浮かんだことがあった。
年末に読んでたぴこさんのブログで目にした、「ざまーみろ!おまえもやってみろ!」というフレーズが強烈だった、ということもあったのかもしれない。
初級コースの内容に煽られて、かなりハイになっていただけかもしれないw
ただ、初級を受けることそのものでさえ、当時の私にとってはものすごいバンジーだったんだ。
そういえば今はそれほどどうってことなくなったのだが、やはりあの日も、家に帰ってきたら旦那さんも子供もいて、夕飯も済ませてるような時間で、ものすごく怖かった。自分がとてつもなく悪いことをしているような気持ちだった。
でも、それでも自分を変えたいと思ったし、変わりたいと思ってた。
そもそもそんな思いで受講したセミナーで、たまたまとはいえオーロラツアーの話を聞いた。
それなりの金額だし、期間的なものもあるし、誰でも気軽に行けるようなものではないから、多分誘ってくれたのぞみんも、別にここで誰かが申し込んでくれると期待はしてなかったんじゃないかと思う。というか、別に断ってもがっかりされるとかそういうものでもなかっただろうとは思ってる。
スルーしてももちろんよかったはず。
私が、勝手にそこに意味を持たせただけなんだ。
わらしべイベント的な、何かのフラグをたてたかった。
だから、帰宅して家族がいて何か申し訳ない気持ちでいっぱいの中、真っ先に勢いで言ったんだ。
「アラスカに行こうと思うんだけど・・・」
振り返るとそこから確かに大きく人生が変わったように思える。
うん、そうかも。
行き詰まってて人生変えたい、って思ってる人は、アラスカ旅行とかいくといいよ(^^)
絶対変わると思う。
変わらないはずがないよね。
目に見える動きはこの先大きめのアクションが続くので、いかにもここから人生開けたような気がしがちではあったけれど、多分見た目にわかるようなものじゃなくても、普段の地味な生活であっても、人生が変わるというよりも、ただ流れにしたがって進んでいるだけなんだろうけれどね、と、今は静かに思う。
当時のワークのノートを見て、「やりたいと思ってたけれどできてなかったこと」とか、「やりたくないのにやってること」とか、懐かしく思う。
その後、1年かけて、やりたいと思ってたけど出来てなかったことを1つずつ実行していった。
家を買う、以外はできてしまったよ♪
やりたくないのにやってること、いくつかはやめられた。今でもやってることはあるけど、風呂掃除以外は、「やりたくないのに」という気持ちの方が薄らいだ。その代わり、今はまた別の「やりたくないこと」もポコポコ出てきたりもしてるけど、やめるとどうなるか、という恐怖の部分はちょっと別の感覚に変わってる。やりたくないことや不本意なことは、やりたくないと言うこともできるようになってきた。
1年前に比べて、ものすごくラクな気持ちで生きていられるようになった。
もちろん1年前も楽しかったけれど、今は楽しい時も、楽しくないときも、どちらも価値のあることで、すべてうまくいくようにできていて、私がコントロールしようとしなくていいもので、もっともっと自分の気持ちだけ見てていい、と思っている。
ダメな自分でもいいや、というのは、時々そうは思えない時もあるけどね。
だから、きっと大丈夫。
私が大丈夫だったから、みんなも大丈夫だよ、と自信もって言えるよ。
私が体験したことだから、きっと誰にでもこのくらいの心のあり方で過ごすことはできるって!
去年の今日、そういえば成人式の日だった。
私にとっても、ここが何かの始まりになる日だったのかも。