ご縁があって久し振りの観劇をしてきた。
芝居鑑賞はYプロジェクト公演ミュージカル【雨と夢のあとに】(2022年5月)以来。
台詞劇となると、演劇実験室◎万有引力【赤糸で縫いとじられた物語】(2018年6月)以来。
また、舞台と客席の境が無いに等しい、小規模な芝居小屋での観劇となると、劇団壱劇屋のワードレス殺陣芝居【独鬼-hitorioni-】(2018年7月)以来…とまぁ、何にしても久し振りの観劇だったわけで。
今回の観劇は、エッグスタープロデュース公演【火の風にのって】@両国エアースタジオ。
今回は芸能プロダクション「エッグスター」によるプロデュース公演だが、元々は空感演人という劇団の作品の様。
鑑賞はB班の初日。
劇場に入るとまず目に入って来たのは、なんとも異質なアクリルボード。
舞台と客席の間に何枚ものアクリルボードが設置されていた。
恐らく感染防止対策の一環なんだろうが、もしこのままの上演となると、客電がアクリルボードに反射して見えづらいなぁ…などと思いながら最前列の一番下手側の席に着く。
全席自由でこの席を選んだ理由は特にない。
強いて言えば、こういった"芝居小屋での公演あるある"で、上手か下手のどちらかに大きく寄った位置(どちらかと言えば下手側が多い)でモノローグが演じられる事が(本当に)良くあるので、もしそういうシーンがあれば、それを目前に見る事が出来る、と言ったところか。
ちなみにこちらの作品、実際に下手サイドでのモノローグに加えて、舞台を上手と下手に分けて違う場面を同時進行するシーンがあった為、そのシーンは本当に目前だった事をご報告しておきます。
上演が始まると、客電が消え、逆に舞台上が明るくなった為、アクリルボードによる反射は無くなり、そこにあるアクリルボードはさほど気にならなくなった。なるほど、マジックミラー(…号、ではない)の原理か。
以下、ネタバレを多く含む為、閲覧注意でお願いします。
1945年3月10日、太平洋戦争の戦時下に於いてアメリカ軍による度重なる無差別爆撃の中で最も被害が大きかった、いわゆる東京大空襲の日、その戦火の中、命からがらに言問国民学校に逃げ込んできた1人の警護団の男性と3人の若い女性。
夫を戦火に亡くした未亡人、一週間前に結婚したばかりの夫を残して戦火を逃れてきた女性、逃げる最中に幼い妹の手を放してしまった女学生…半狂乱になって泣き叫ぶ女学生を必死に励ます未亡人、女学生の代わりに妹を探しに飛び出す警護団の男性…悲惨な描写の数々。
女学生は、"自分が生きた証"として、職場の上司への恋心を書き綴った日記を校舎の壁の中に隠した。
2023年3月9日深夜、そろそろ日付も変わり3月10日になる頃、同窓会帰りに酔った勢いで、廃校が決まった母校・言問小学校の校舎跡に忍び込んだ若い女性3人。
施設で育ち親の愛を知らないフリーター、親から自立出来ずに彼氏との仲を許してもらえず家出をした箱入り娘、親の再婚で居場所がなくなり自立せざるを得なかった女性…
思い出の教室の中で、思い出話に花を咲かせる3人。
やがて、教室の中に"秘密の隠し場所"がある事を思い出した3人は、その場所を探し出し、自分が当時隠した宝物と一緒に、昭和20年の日付が掛かれた一冊の古い日記を見つけ出し、その日記に書かれていた恋心に、悪ふざけで、"その人はイケメン?"と蛍光ペンで落書きを書く。
戦局の悪化と悲惨な描写が続く中で、それでも日本の勝利を信じ続け強く生きようとする1945年の女性たち、緊迫感一つないながらにそれぞれが問題を抱えた2023年の女性たちのけだるい呑みトーク、恐らく年の頃は同じ程度ながらに全く違う女性像を、全く違う生き方をしている女性たちの両極端な姿を描くシーンが交互に繰り返される中、とある異変が。
2023年に書かれた"落書き"が1945年の方の日記帳に浮かび上がり、聞いたことがない"イケメン""令和"という言葉、見た事がない光るインク、説明ができない現象に混乱する三人。
"あなたは誰?"と返事を書いた文字が、2023年の日記にもはっきり浮かび上がり、これまた混乱する三人。
日付と場所、そして1冊の日記帳によって二つの時代が歪み、繋がってしまうという…、太平洋戦争戦時下を取り扱った作品数多くあれど、史実とフィクションを大胆に融合させた珍しい作品だった。
それまで観てきた戦争物、こと太平洋戦争戦時下の日本を扱った作品には有り得なかった、現代とのタイムリープに、えー…なにそれ…と思ったのは事実。
しかし、このタイムリープには、とても効果的な意味があることを作品中盤以降で感じた。
明らかにフィクションとわかる大胆な設定があるその反面で、浅草区(現・台東区)、本所区、向島区(以上、現・墨田区)、城東区(現・江東区)、本所亀沢町、横網町、石原町、業平橋(以上、墨田区内の旧地名)、二葉国民学校(現・墨田区立二葉小学校)、言問国民学校(現・墨田区立言問小学校)、被服廠跡地(現・横網公園)など、現在の名前とは違うながらに昭和の歴史に興味があれば聞いたことがある実在の地名が多数登場。
日記上のみで文字のやり取りをしていた双方の時代の女性たち、お互いにお互いの時代の事を書き込んでいく為理解が追い付かずますます混乱していく中、お互いが同じ場所にいる事、しかし状況が全く違う事、時代も全く違う事がわかり、やがてお互いの声がお互いの時代に届く様になる。
時代が歪んで78年の時を超えて繋がっているという事実に半信半疑ながらに、2023年の日本の事を聞こうとする1945年の女性たち。
絶対に勝つと信じていた戦争に負けた事、3月10日の東京大空襲で10万もの犠牲者が出た事、原爆が落ちて広島と長崎が壊滅した事、5ヶ月後に降伏した事、戦争も軍隊も兵器も放棄した事、日本を壊したアメリカと同盟を結んだ事。
思いもよらなかった未来の姿に、何のための戦争だったんだ、何のために大勢の人が死んだんだ、と泣き叫ぶ1945年の女性達。
その後の日本が平和になった事、美味しい物を食べられる様になった事、自由に恋愛が出来る様になったことを聞き、自分たちもその時代を生きたかったと嘆く1945年の女性たち。
戦争が無い時代なのに、自らの将来に悲観して自ら命を投げる人がいると聞いて、その時代に生きたくても生きれなかった私たちの為に生きろ、と絶叫する1945年の女性達。
もし私達の死でそんな幸せな日本になるのであれば死ぬのは怖くない、戦争で死んだ人たちの事を、空襲で理由もわからず死んだ子供たちを、赤ん坊を守れなかった母親たちの事を忘れないで、と訴える1945年の女性達。
自分としては、とても親しかった人を自死という形で亡くし未だ3ヶ月と経っていない中、人の死に対して敏感になっているところに、これでもかと、これでもか、という程グサグサ刺さってくるシーンだった。
そう言えば【あなたが生きている現在は、誰かが生きたくて生きられなかった未来】【平和は誰かの犠牲の上に成り立っている】という言葉をどこかで見た気がする。
逆に、2023年の女性達から1945年の女性に伝えられたのは、言問国民学校は空襲で焼け残った事、そこにいれば生き残れる、という事。
昭和11年竣工で令和5年現在、現存する最古の校舎として有形文化財に登録されている言問小学校の校舎、これは恐らく本当の事だったんだろう。
つまり、冒頭に出てきた廃校が決まった言問小学校、というのはフィクションなんだろう。
その後、1945年の女性達と2023年の女性達が束の間鉢合わせるシーンがあり、その時に2023年3月10日正午に言問小学校のこの教室での再会を約束するんだけど、その時その空間はどの時代にあったのか、何故お互いの姿が見えたのか、それは現実なのか幻なのか、その辺の事は理解できなかった。
約束の2023年3月10日正午に存命だった1945年の女性は、女学生のみ、それも90歳を超えていて満足に出歩けず、その場に行く事は叶わなかった、という描写が、戦争からどれほど長い年月が経過したのか、戦争を言い伝える事が出来る戦争体験者がどれほど減っているかを現わしているかのようだった。
代わりに現れた老人(役の作り込みが甘かった事、また台詞を読んでる感がやや強かったのはご愛敬か)が、1945年3月10日に亡くなったであろう警護団の男性の息子で、また2023年の女性達のクラスメイトの祖父だったという、時代が続いている事の描写もあり。
憲法9条をめぐる改憲問題、軍事力の保有の賛否、戦争時代に逆戻りと揶揄される現行の日本の政治、また今この時もウクライナとロシアによる戦争が続く、戦争が無くならない世の中への反対声明の側面もあるように思える一方、戦争時代の描写を通じてもっとも伝えようとしているメッセージは、生きる事の大切さ、なんだろうな、と感じた。
久し振りのぽちっとな。