劇団四季【ノートルダムの鐘】(2度目) | たかびの自己満観劇ブログ

15日、神奈川芸術劇場で上演中の劇団四季【ノートルダムの鐘】を鑑賞。

今回はもう随分長い付き合いになる仲良しの四季仲間グループ4人での鑑賞で、ノートルダム初鑑賞のメンバーもいる中、最前列ドセンター4連と言う贅沢な条件で鑑賞とあり、みんなテンション高い(笑)

↑最前なのにオペラグラスとか持ってきちゃった女子から開演前にオペラグラスを借りて覗いてみたら、上手側下段の石像がこっちを向いてて、思いきり目が合ってしまったw

個人的には開幕間もない2016年12月以来、同作品2度目の鑑賞でしたが、当時の記録を見てみたら、2度目の鑑賞にして2度目の最前列ドセンターだった事が発覚。相変わらずドセン大好きっこですw

キャストボード。

前回からのプリンシパルの変更はこんな感じ。

"生"フロローに注目!なキャストですね(笑)

※ディズニー映画版のクロード・フロローの歌声を吹き替えたのが、今回のフロロー役の村俊英さん(※台詞は故・日下武史さん)なので、"生"フロロー(笑)
凄いよね、18年も前に吹き替えたアニメキャラを、今舞台で演じてるって。しかもその歌声は衰え知らず。

最前列なので若干舞台を見上げて鑑賞する感じになるのだけど、主役のカジモドがご存知、特異な体勢をしている役なので、それを表現するカジモド役の役者さんは頻繁に身をかがめ、その時に表情が客席から見えなくならない様に、くわっと口をひん曲げて客席を睨み付ける様な演技を何度もする(しかも下からの照明で陰影が凄い)のだけど、その度に"友達の距離"にいる俳優さんと視線が合う…そんな席(笑)

 

~あらすじ~

カジモドの切なく悲しい愛の物語。
そのなかに見出す、ひとすじの光とは――。

15世紀末のパリ。街の中心に存在するノートルダム大聖堂の鐘突き塔には、カジモドという名の鐘突きが住んでいた。

幼き時に聖堂の聖職者フロローに引き取られた彼は、その容貌から、この塔に閉じ込められ、外の世界と隔離されていた。

塔上から街を眺めて暮らす日々。友と言えば、何故か彼を前にした時に生命を宿す石像(ガーゴイル)と、鐘だけ。いつも自由になることを夢見ていた。

今年も、年に一度の“らんちき祭り”の日がやってきた。
大いに盛り上がる人々の様子に堪えることができなくなったカジモドは、ガーゴイルたちにそそのかされ、塔を抜け出した。美しきジプシーの踊り子エスメラルダと出会う。

折しも、最も醜い仮装をした者を決めるコンテストが始まったところ。自分が持っているものを活かすべきと言うエスメラルダに手を引かれ、カジモドはステージに上がる。

その容貌が仮装ではないと知った聴衆は、残酷なまでに嘲りの言葉を浴びせ、彼を捕えようとする。エスメラルダは咄嗟にかばう。

大聖堂へ戻ったカジモド。彼を大衆の面前にさらしてしまったことの責任を感じたエスメラルダも、後を追う。
差別の情なく、誠実で優しい言葉をかけるエスメラルダ。カジモドにとっては生まれて初めての経験。彼女へ愛を抱くことは必然だった。

一方、聖職の身でありながら、エスメラルダの美しさに邪悪な欲望を抱いたフロローは、市民と教会を守るという名目で、大聖堂警備隊長フィーバスにジプシー排除を命じ、彼女の捜索を始める。

しかし、フィーバスもまた、以前からエスメラルダの魅力にとりつかれていた。彼は命令に背き、エスメラルダを救出しようとするが、逆にフロローに刺され重傷を負ってしまう。
大聖堂へ逃げ込むフィーバスとエスメラルダ。二人の間に愛の萌芽を感じたカジモドは、これまで感じたことない心痛を得ながらも、愛するエスメラルダのために、二人をかくまう。
エスメラルダはジプシーの隠れ家“奇跡御殿”の地図が暗示されたペンダントのお守りをカジモドに託し、姿を消す。

カジモドのエスメラルダへの愛情を察したフロローは、その想いを利用すべく、故意に奇跡御殿襲撃計画を漏らす。
危険を知らせようと御殿へ向かうカジモドとフィーバス。ペンダントに導かれるままたどり着くが、フロローの罠にはまり、エスメラルダもろとも捕らえられてしまう。

大聖堂に幽閉されたカジモドたち。フロローはエスメラルダへ自分の愛を受け入れるのならば解放すると迫る。取引に応じるよう説得するフィーバス。しかしエスメラルダは頑なに拒む。
フロローの愛は憎しみへと変わり、エスメラルダを火刑へ。やがて刑執行のそのとき、カジモドは縄をほどき、エスメラルダを救出するが…。


前回の鑑賞から約1年半を経過していたのもあり、実は殆ど内容を覚えてなかった上に部分部分でイメージが誇大化されていたのか、オープニングのクワイヤのコーラスが思ってたよりも(四季劇場・秋で観た時よりも)薄っぺらくて重厚感に欠けるなー…ボリューム小さいなー…って感じた部分もありましたが…。
おかしいなー…四季劇場で観た時は、正に"歌声に包み込まれてる"って感じだったのに。

ただ、歌声に不満を感じたのはクワイヤだけで、その他の歌声は良かったな~。

ノートルダムと言えばクワイアを従えた重厚な歌声ってどうしてもイメージ的に聴きどころ感があるのですが、個人的にはそれよりも、様々な登場人物の様々な意識が交錯する様を表現する重唱(ウェストサイド物語の五重奏<クインテット>や、レ・ミゼラブルのワン・デイ・モアみたいな歌い方)が大好きで、この作品でも、そんなシーンに聞き入りました。

正直、誰が何を歌ってるのかわからないんだけど、それがかえって鬼気迫ってくる感があって好き←。

人の心の歪みを書き出した作品であり、特にフロローやクロパンの、自分が信じるもの、大切なもの(街の治安だったり仲間だったり)を守る為に邪魔なものを徹底的に排除しようとする姿がカジモドやジプシー達の怯える姿、迫害される姿を対比に悪く見える様に描かれているので、酷い仕打ちに見えるし、何故その程度のことが許せないのかという憤りすら感じるんだけど、本当にそうなのか?という逆説すら出てくる作品です。

第三者目線で見るからこそ、迫害イクナイ!ってなるけど、当事者だったらどうだろう?

守りたいものの為に闘うのはみんな一緒だし、街の治安を守る為にジプシーを根絶やしにしようと魔女狩りしてたフロローと、聖域を守る為に大量の人に溶けた鉛をぶっかけて大虐殺したカジモドと何が違うのかな?って確かに思う(笑)

物語を一通り堪能したカーテンコール、当日のカジモド役だった飯田達郎さんが前日に誕生日を迎えていたのもあり、カーテンコールの最中にうちの女性陣3人が声を併せて『お誕生日おめでとうー!』って叫んだのが飯田さん本人の耳に届いた様で、ん?なになに?って感じの表情でリアクションを取ってくれたのもあって女性陣は有頂天w
あれはいい思い出になったねー(笑)

久し振りのノートルダム、堪能出来たとても楽しい休日でした。

 

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