電動夏子安置システム【Performen Ⅳ】 | たかびの自己満観劇ブログ
今回観に行ったお芝居は少し変わった作品でした。
 
何でも、1つのストーリーを2つのバージョンで演じるお芝居って事で、運良く両方のバージョンが観れる日があり、両方を拝見してきました。

そんな訳で、導かれる様に池袋のシアターグリーンへ。
 
今回のお芝居は。


『Performen IV~inferno~』

たかびの自己満観劇記

電動夏子安置システム、という非常にインパクトの強い名前の劇団です。

IVって言うだけあり、過去にI~IIIもあったんだろうなぁ~と思い、調べてみたらもう何年も前に壱~参という形で公演しており、他にも零ってのもありました。

内容までは調べてないけど。
 

そんな訳でPerformen IV プント編。
 

-人間が神の駄作なのか。神が人間の駄作なのか。-
 
彼が我にかえると、絵描きの筆は進んでいた。
 
キャンパスの数だけ設計図が描かれていた。
 
そしてそのどれにも、サインとともにこう記されていた。
 
「個性がある」と思っている自称人間達(Performen)のそれは幻想である。
 
「意思がある」と思っている自称人間達(Performen)のそれは錯覚である。
 
点と線さえあえば、この世の人間らしいものはおおよそ描ける。
 
「『何か』に動かされているならどうして自分達は存在しているのか。生きている事に意味はあるのか。」
 
「意味などないならば堕ちていけ。」
 
絵描きは持っていた筆で地面に点を穿つ。
 
するとたちまち地面に大きな穴が開いた。
 
暗闇の中に目を凝らして覗いてみると、漏斗状の大穴は地球の中心にまで達しているようである。
 
ここは通称「Inferno(埋立地)」と呼ばれている所。
 
「何か」に抗い、人間としての個性を取り戻そうと試みた愚かな律動人型達が永遠を暮らす場所。
 
『人間再生(リナシメント)』をテーマに添える神聖喜劇(ディヴィーナ・コメディア)、Performen新シリーズの第一篇『Inferno』開幕。
 
~イントロダクションより~
 

人間とは何ぞや?
自分の意志とは何ぞや?
 
そんな大きな大きなテーマのもとで、各シーンにテーマを設け、様々なシーンがめまぐるしく入れ替わる、そして各シーンを見ながら本編が別の空間で進行していく、そんなお芝居でした。
 
人間は本当に自分の意志で行動しているのか、それともそれは運命という名のレールの上を歩かされているのか、あるいは自分以外の誰かに操られているのか、色々な角度がらそんな内容を考える。
 
かなり面白かったのが「配線の獄」と称した幕で、バラバラになってしまった人間を再形成した時に、五体をつなぐ配線を間違えてしまったら…というもの。
 
3つのシーンを同時に演じ、Aというシーンで行われた動作が、AではなくBというシーンやCというシーンにいる人間に作用してしまうという、パッと見た感じはアンジャッシュが得意にしているネタの様な感じ。
 
舞台上でAの人間が取った行動でBという人間が有り得ない事を引き起こしてしまう、笑いを狙った構成は面白かったけど、それよりも、このシーンが訴えようとしている物、ソレを実際に観ているのが面白くて仕方なかった。
 
それから、何の獄だったか曖昧なんだけど、輪郭を残す…云々という奴。
 
前にその部屋で起こった事を次に部屋に入った人が本人の無意識のうちに繰り返してしまう…という、これも「自分以外の誰かに操られている」をテーマにしたもの。
 
これも、変幻自在な役者さん達のパントマイムに目を奪われました。
 
足の向く方角と違う方向に動く上半身とか、素人にはなかなか出来ないですよ。
 
全体を観ていて懐かしいなって気分もあった。
 
それは、戯曲的なキャラクター設定の部分なのか、あるいはセリフの発し方なのか、とにかく懐かしかった。
 
10年位前に、芝居を学んでいた自分も一生懸命やったなぁ、と(笑)
 
 
そんな訳でソワレの部でございます。

リネア編と呼ばれた今作は、基本のストーリーは変わらず、配役がガラリと変わり、そして各幕のテーマと内容が半分位変わります。
 
各幕のシナリオや演出がプント編とはだいぶ違い、かなりドタバタコント的な演出が際立つ演出。
 
この演出に何割位、役者さん達のアドリブから生まれた演出が含まれているのかが非常に気になる位、毒素(笑)の強い笑いが含まれていた。

しかしそんなインパクトの強いシーンをひっくり返すリネアと主役(最後まで名前を明かさない)が進める本編。
 

ひょっとしたら、私達は人間のつもりでいるが、毎日毎日決まった動きを繰り返すだけの人間の様な形をした玩具、Performenなのかも知れないー。