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「財務省は温めていた増税メニューを全てこなそうとしている」(前半)三橋貴明 AJER2023.8.1
 

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◆◆◆一般参加可能な講演会のお知らせ◆◆◆

 第100回AT-1 / 大経連お披露目祭り 9月23日(土) 13:30(開場12:45) ※懇親会18:30〜20:30

 会場:東京プリンスホテル / 2階 鳳凰の間

 

史上最長の文明とは? 我々は本当に三千年前から進歩しているのか?【8月4日(金)までの限定案内】


https://youtu.be/OeYIVLVIl2k

 我々、日本人の経済システムは、実は三千年前から変わってきません。


 投資をして、生産性を高める。


 三千年前、唐津市の菜畑で水田稲作が始まった以降、我々は、
「将来のために生産資産を蓄積し、生産する」
 ことで生産物や所得を獲得する経済の下で暮らしてきたわけです。


 ちなみに、水田稲作という「投資」で生きていく弥生文明は、900年くらいかけて青森にまで伝播していきました。(約2100年前 青森県 垂柳(たれやなぎ)遺跡 水田稲作跡) もっとも、水田稲作は青森には合わなかったようで、北海道の続縄文文化が南下してくることになりますが。


 ちなみに、
「日本に大量の渡来人が訪れ、水田稲作を伝えた」
「縄文人を渡来人が駆逐していった」
 といった風説は、全て考古学により否定されています。


 ついでに、板付遺跡や菜畑遺跡が発見されたことで、
「紀元前三世紀に中国の動乱から逃げてきた人々が日本に稲作を伝えた」
 という、司馬史観的な出鱈目も成立しなくなっています。何しろ、菜畑遺跡は紀元前十世紀の水田稲作跡なのです。


 縄文時代から、日本人は朝鮮半島南部を交易圏としており、朝鮮半島にも大勢の日本人が住んでいました。結果、朝鮮半島から縄文土器や翡翠(日本の糸魚川でしか取れない)が発見され、韓国南部にだけ(ごくわずかな人数)Y染色体ハプログループD1a2の男性が存在しているわけでございます。


 というわけで、元々、多少の陸稲はやっていた縄文人(我々の先祖)は、朝鮮半島のどこかで水稲を目にし、
「お? これ、すごくね?」
 ということで、菜畑(現時点では)で極小さな規模から始め、それがほとんど千年もかけて本州の北部までいったわけです。(水田稲作は津軽海峡は越えなかった)


 現代から千年前といえば、平安後期でございますよ。水田稲作が、どれほど長い時間をかけて北上していったかが分かるでしょ?

 

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お待たせいたしました。【眠れなくなるほど面白い江戸日本(後編)】がリリースになりました。


https://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

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 縄文時代と弥生時代の人骨の形状が異なることを、「渡来人大量流入説」の根拠にする人がいますが、そりゃ狩猟・採取・漁猟で暮らしていた人たちが、炭水化物(米)中心の生活に変わり、数百年も経てば、骨格も変わるでしょ。
 

 ちなみに、江戸時代から現在にかけ(150年程度で)、日本人の平均身長は10センチ以上も伸びています。同じ人種であっても、食生活の変化により骨格も身長も変わるんですよ。(少なくとも数世代はかかりますが)。わたくしが江戸時代にタイムスリップしたら、巨人ですよ。


 というわけで、縄文人の「誰か」が朝鮮半島から菜畑に水田稲作の技術を持ち込み、我々の先祖は、
「将来のために投資し、生産する」
 現在も変わらない「経済」を始めたのでございます(縄文文明も栗林など投資はしていましたが、規模が水田稲作とは比較にならない)。


 苦労して森を切り開き、土地を平らにし、畔を作り、水路を建設し、貯水池を作り、水を引き込むといった投資を経て、ようやく「将来」の生産のために生産資産が整う。


 もっとも、苦労して水田を切り開いても、河川の氾濫で元の木阿弥になるかも知れない(板付などでは、頻繁にあったようです)。


 さらには、投資するということは「所有」すること。所有したからには「防衛」しなければならない。
 

 カロリー摂取がコメに依存することで、食料安全保障は弱体化。コメが不足する、あるいは水がないため稲作ができないといった状況になると、「他のムラ」を襲うしかない。


 縄文時代は、カロリー摂取の手段が恐ろしく多様化していたため、「○○が獲れないならば、○○を獲ればいい」で話が済んでいたところが、
「生き延びるために、他のムラから奪うしかない」
 という状況になった。


 つまりは、我々の先祖は水田稲作と共に「戦争」を輸入したわけでございます。


 そして、弥生文明の構造は、現在も変わっていない。もちろん、我々は投資によって経済成長するしかない。とはいえ、投資には「リスク」が伴うというのも、三千年前から変わっていない。


 もっとも、現代の日本は成長に不可欠な投資すら絞っている、あるいは怠っているわけでございますけどね。

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