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日本国民の可処分所得と実質賃金を引き上げるには」(前半)三橋貴明 AJER2023.5.30

 

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https://youtu.be/M8LY7KBzLf0
 

 珍しく選挙制度の話。


 衆議院が中選挙区制だった時代、日本の政治は「決められない政治」と揶揄されたのですが、今にして思えばこれは「誉め言葉」としてとらえるべきでした。


 決められない政治とは、特定の誰かの「今だけ、カネだけ、自分だけ」の政策も決まらないという話なのです。「特定の誰かの求める政策だけが決められる政治」よりも、「決められない政治」の方が、相対的にマシです。


 90年代後半以降、小選挙区制、政党助成金制度と、国会議員を縛り、リーダー(首相、官邸、党中央)の意向が通りやすい環境が作られた。さらには、内閣人事局の設置により、官僚も中央に逆らえない構造になった。


 加えて、農協をはじめとして「特定の誰かのビジネス」を邪魔する中間組織がやり玉に上げられ「既得権益」との批判を受け、弱体化させられてきた。(農業分野に新規参入して金を稼ぎた~い。農協?邪魔~、消えろよ~、という感じ)
 

 中間組織なき民主制は、極めて危険です。有権者は議論する場を失われ、テレビ等で「知っている名前」を投票所で書く
 

 議論ではなく、「知られている顔」が権力を握るのです。


 かつて、日本は中選挙区制でした。中選挙区制では、同じ党(要は自民党)から何人も受かる。野党や無所属にしても、トップ当選は無理でも、ぎりぎり最下位で滑り込めるかも知れない。


 結果、議論が起きた。何しろ、同じ自民党の候補者同士でさえ、同じ選挙区で喧々諤々の議論をした。結果、日本の政治は「決まらない」という意味で健全だった。


 それが批判され、「政治改革」により小選挙区制になった。一つの選挙区で一人しか受からない。となれば、自民党の「公認」が当落を左右するというよりは「決める」ことになる。


 必然、自民党の新陳代謝が止まった。新たに「部外者」として新規参入してくる候補者が減り、二世議員だらけになった。(ちなみに、わたくしは結果的に二世議員だらけになった小選挙区制という「制度」を批判しているわけで、二世議員はダメ、と言いたいわけではありません)


 さらには、自民党議員は最も重要な武器である「党の公認」のために、党中央や自民党総裁(総理大臣)に逆らうことは不可能になってしまう。結果的に、確かに「決められる政治」は実現したのですが、もちろん次々に決まるのは「特定の誰かの求める政策」ばかりでございました。


 そもそも、小選挙区制を導入した目的は、中間組織を潰すことや、議論を封じることや、国会議員が党中央の顔色ばかりを窺うようになることや、二世偽議員を増やすことではなく、「二大政党制」を目指したためでした。英米(特にイギリス)のように、頻繁に政権交代が起きる二大政党制を目指したからこそ、小選挙区制が導入されたのです。


 とはいえ、そもそも日本は英米のような階級はないわけで、二大政党とは言っても「何」を対立軸にすればいいんですかね? 

 

 今では、グローバリズム 対 反グローバリズムということで、対立軸が明確なような気がしますが、これもグローバリズムが終焉に迎えば、消滅します。


 日本国は、天皇陛下だけが特別で、それ以外の国民は万民平等な国民国家です。陛下が即位される際には、陛下のみが高御座に昇られ、残りは総理大臣だろうが何だろうが、等しく下で即位のお言葉を拝聴するのです。


 というわけで、日本国には二大政党制が似合うとは、とても思えない。それでも、小選挙区制は「二大政党制を実現する」目的で導入されたのです。

 

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江戸時代といえば、士農工商に「身分」が分かれ、閉鎖的な階級社会だったと教えられていませんか? 実際の江戸時代は、意外に流動性が高い開かれた社会でした。想像以上に面白い。江戸時代の真実について知ってください

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国民民主・玉木代表、細川元首相発言に「二大政党制は無理だと確定」
■国民民主党・玉木雄一郎代表(発言録)
(小選挙区比例代表並立制の導入などの政治改革に合意した細川護熙元首相が、「緩やかな多党制を目指した制度で、二大政党制を目指したものではない」と発言したことについて)椅子から転げ落ちるような話だ。連立の組み合わせを想定した制度だと言っていたのは衝撃的だ。今の制度で二大政党制は無理だということだ。
 であれば、連合も含めて二大政党制を目指す前提がガラガラと崩れたのではないか。(制度の)創設者である細川さん自身が言ったということは、この30年は何だったんだということになる。二大政党制を目指してやってきた人たちからすると、天地がひっくり返る話で、もう無理だということが確定したのではないか。』

 わたくしも吃驚した。細川護熙こそが、「二大政党制」を目指すと主張し、小選挙区制を導入した張本人です。他にも小沢一郎、河野洋平などが関わっていますが、少なくとも「総理大臣」は細川でした。


 その細川が、「二大政党制を目指したものではない」と発言した。根底からひっくり返りますわ。


 結局のところ、90年代後半の「政治改革」とやらは、真面目に議論することもなく、政治家にとってはノリで決めたお遊びだったのです。目的は小選挙区制導入でも、二大政党制でも、腐敗政治を清浄化するでもなく、
「決められる政治」
 の実現です。


 国会議員の権力を弱体化させ(つまりは、国民の主権を弱体化させ)、好き放題、「特定の誰か」が儲かる政策を「決められる政治」を目指した。
 現在の状況を正しく理解した上で、↑これを否定できる人います? 現実、こうなっているでしょ?


 日本は中選挙区制に戻すべきです。

 

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