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「国家の礎は供給能力」(前半)三橋貴明 AJER2022.2.1
    

 

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PB目標はグローバル・スタンダードに合わせようぜ[三橋TV第504回]三橋貴明・saya


https://youtu.be/mXYkDw6m8MQ

 


 財務省の官僚は良く分からないのですが、主流派経済学者が「緊縮財政」の推進を望み、財政破綻論をまき散らす理由の一つに「エリート意識」があります。
 彼らのエリート意識を象徴する主流派経済学者といえば、ミルトン・フリードマンではなく、ジェームズ・ブキャナンです。
 ジェームズ・M・ブキャナン。アメリカの経済学者・財政学者。1986年にノーベル経済学賞を受賞。

『アメリカの独立宣言の年(1776年)に、アダム・スミスは「すべての個人家庭の管理にみられる思慮分別が、大帝国の管理運営にとって愚行であるはずがない」ことをみてとった。今世紀中頃の「ケインズ革命」の到来までは、アメリカ共和国の財政運営は、このようなスミス流の財政責任原則によって特徴づけられていた。すなわち政府は、課税せずに支出してはならないし、また一時的で短命な便益の供給をもくろむ公共支出を赤字財政によって賄い将来の世代を束縛してはならない、とされた。(「赤字財政の政治経済学―ケインズの政治的遺産」文眞堂)』

『政府の肥大化を阻止するためには、有権者の拡大的な要求を拒否するように、政治家を束縛する必要がある。そのために、ケインズ主義によって取り払われた「均衡財政」の予算原則を憲法に明記し、現行の利害を根本から正す立憲的な改革が必要である。(同)』

 実際には、すべての個人家庭の管理にみられる思慮分別は、大帝国はもちろん、供給能力が十分にある国家にとって愚行の極みです。


 政府が課税内でしか支出をしないと、ネットの資金需要がマイナス化し、経済はデフレ化します。というか、97年以降の日本は、実際にそういう政策(緊縮財政)を採り、経済がデフレ化しました。


 そして、「一時的で短命な便益の供給をもくろむ公共支出」など、存在しません。理由は、全ての公共支出は(別に公共事業に限りません)民間の投資を呼び込み、供給能力を引き上げるためです。


 単純な社会保障支出、あるいは給付金の支給でさえ、「需要」を拡大する効果があります。結果的に、投資は確実に増え、供給能力が高まる。


「社会保障等は無駄な政府支出だ」
 と、主張する人は、年金や給付金を受け取った国民が消費する際に、財やサービスが「何にもしなくても生産される」と思っているのでしょう。


 あらゆる需要は、供給能力の拡大につながる可能性があります。もちろん、どの需要が、どの供給能力をいくら増やすのか、など、事前に分かるわけがありません。


 とはいえ、需要拡大が供給能力向上につながることは疑いなく、だからこそ(特にデフレ期の)政府は貨幣を発行し、十分な需要を国民経済に提供しなければならないのです。

 

 ところが、「需要拡大が生産性向上をもたらす」といった当たり前の話が理解できない愚者たちは、

「政府の財政支出は経済を成長させない」
「政府の財政支出は生産性向上に結び付く分野に限るべき」
 といった、奇想天外なことを主張します。政府の財政支出は「政府最終消費支出」「公的固定資本形成」といったGDPの需要項目です。政府が需要を拡大すれば、GDPは嫌でも成長します。


 さらには、事前に「生産性向上に結び付く分野」など、人間に分かるわけがありません。それが分かるならば、倒産する企業はなくなります。


 結局、緊縮財政を主張する学者の頭の中には、
「俺は何でも分かる。財政支出拡大は必要だが、俺が決めた生産性向上に結び付く分野に限るべきだ」
 などと、頭のおかしいエリート主義的な妄想を言い出すわけです。
 

【再掲 三橋貴明×佐藤健志 フランス革命とMMT(現代貨幣理論)】

現在、三橋貴明と佐藤健志による特別コンテンツ「信じがたい歴史的真実!フランス革命とMMT(現代貨幣理論)」がご視聴頂けます。

https://keiseiron-kenkyujo.jp/keiseishiron/

 

「国債の発行によって政府は破綻しない」現代貨幣理論(MMT)が嫌われる理由
(前略)そんな脅しをかける人は、「栄養失調で死にそうになっている」という現実を無視する不条理極まりないメチャクチャな人物ですよね。
 あるいは、「あらゆる食べ物には毒が入っているから、なにも食べるな!」と主張するような、極めて暴力的な批判です。そんな主張に従っていれば、人々は餓死する他ないのですから。
 こうした理不尽な批判があとをたたないのは、世のインテリたちの多くがこれまで、「財政をふかすと破綻するぞ!」と何十年も言い続けて、今さら引っ込みがつかなくなってしまっているから、としか言いようがありません。
 彼等はただ単に、自分たちが間違っていたということを認めたくないが故に、躍起やっきになってMMTを否定しているのです。
 だから、インテリたちのMMT批判は、常軌を逸したものとなっているのです。
 しかも、彼等が信じている財政破綻論は、ある種「宗教的」な思い込みにすらなっていて、あらゆる理論的な議論を拒絶するようなものとなっているのです。
 たとえば、彼等が「信奉」している思想のひとつに、アメリカの財政学者ジェームズ・M・ブキャナンの著書『赤字財政の政治経済学─ケインズの政治的遺産』(文眞堂)で展開した思想があります。
 民主主義においては、政治家が人気とりのために公共事業などの「バラマキ」に走りがちで、その結果、財政赤字が膨らんでしまう。これがブキャナンの財政思想です。
 ブキャナンはこの財政思想の理論化で1986年にノーベル経済学賞を受賞し、世界に多大な影響を及ぼしています。そして、彼の思想が世界中に蔓延する中で、「民衆の主張や要求を一切無視して〝財政規律を守る〟ことこそが、国全体を守る上でとても大切で、道徳的に正しい行為だ」という風潮が強化されていったのです。
 そして、この風潮が、先進国のエリートたちの常識となりました。日本の政治家や官僚、学者たちといったインテリ層も、ブキャナンの財政思想に汚染されました。住民たちはみんなバカである、そして、そんな住民が好む財政拡大は不道徳なものである、という考え方が日本のインテリ層の常識となったのです。(後略)』

 断言しますが、日本経済を成長させる、あるいは生産性向上に結び付く「支出」など、事前に特定することはできません。できる、つまりは「生産性向上に結び付く特定の分野は把握でき、政府はそこに支出するべきだ」と主張する者がいたとしたら、それは単なる誇大妄想狂です。支出の効果を、事前に確定させることは「誰にも」できません。


 そして、この手の誇大妄想狂の背後には、
「自分は全てわかっている。大衆に判断を任せると、100%間違える」
 という、狂ったエリート意識があるわけでございます。


 いや、自称エリートの誇大妄想狂の皆さん。人間は、それほど賢くない。我々も間違うかも知れませんが、貴方も間違うのですよ。所詮は、同じ人間でしょ。
 何が正しいか分からない。だからこそ、政府は「全て」に支出をしなければならないのですよ。
 

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