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三橋TV第226回【疫病の人類史 日本国民が感染症に勝利するためには・・・】
 
 今回の中国武漢発祥の新型コロナウイルス感染症のパンデミックと、第二次世界恐慌を受け、人間の本性、特に「財政破綻論者という人間の屑たち」の本性が暴かれつつあり、大変、興味深い。

 ちなみに、財政破綻論者と「小さな政府主義者」、グローバリストは全て同じカテゴリーに含まれます。「政府を小さくすることを善とする」発想において、人間としての屑度や、レトリックの巧み度が異なるだけです。
 
 お分かりでしょうが、「政府を小さくする」とは、国家の店じまい路線であり、つまりは、
「政府はいかなる事態になろうとも、国民を救わない」
 という発想に繋がらざるを得ません。

 今回、現実には政府が救済しなければ「国民が死ぬ」という非常事態が訪れ、人間の屑たちは、いくつかのパターンに分かれました。
 
 彼らの特徴は、実は「国民意識(ナショナリズム)」がないという一点に尽きます。我々に対し「同胞」であるという意識がないのです。
 
 だからこそ、国家の一部に過ぎない(しかもNPOの!)政府の収支のみをクローズアップさせ、「財政破綻だ~っ!」と叫ぶ。

 真っ当なナショナリズムに基づき、「国民を救う」という目的があるならば、政府の収支など「どうでもいい」という結論にならざるを得ないはずです。ところが、彼らには「国民全体を~」という発想がないのです。
 
 さらに、国民意識の欠如は、
「財政破綻するから、全員は救えない」
 という発想に繋がります。
 
 典型が、まさに↓これ。
 
#非常事態宣言 全額休業補償をすれば、国は、財政破綻します。国名を挙げれば失礼ですが、イタリアと同じような状況になります。それは、医療崩壊へとつながるのです。国も7都府県も、検討可能な対策を真摯に議論すべきです。国民の皆さんにも、我慢をしていただかなければなりません。(続く)』
 
 財政破綻論という間違った財政観、貨幣観を持ち、「全ての国民を救うんだ!」という、国民国家「日本」の政治家たる矜持もない。だからこそ、「国民よ、我慢せよ」などと平気で言ってのける。
 
 磯崎元議員のツイートは、一見、「そういう考え方もあるなあ」と思われるかも知れませんが、一般国民はともかく、国民国家の政治家を志す者にとっては「あってはならない」思想なのです。理由は、国民に我慢を強いるとは、最終的には「国民を見捨てる」に繋がらざるを得ないためです。

 もちろん、現実の話として国民が「我慢」を強いられるケースはあります。とはいえ、政治家が国民に強いてはならないのです。
 
【歴史音声コンテンツ 経世史論】

http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※ノンフィクション作家「河添恵子」先生との対談「歴史から学ぶ中国と中国人の本質」が視聴可能となりました。

 

 また、非常事態が発生している最中、「国民の選別、分断を図る」ことも、全ての国民がやってはならないことです。
 
橋下徹氏「公務員も議員も10万円給付受け取り禁止に」
 元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(50)が21日、自身のツイッターで、政府の10万円一律給付について怒りをあらわにした。
 橋下氏は「給料がびた一文減らない国会議員、地方議員、公務員は受け取り禁止!となぜルール化しないのか」と訴え、その上で「それでも受け取ったら詐欺にあたる、懲戒処分になると宣言すればいいだけなのに、これも各自に任せるといういつもの無責任政治。国会議員でも絶対受け取る奴はいるよ」と政府の方針に疑問を呈した。(後略)』
 
 現在、医療現場では公務員を含む大勢の人々が、自らの命を危険にさらしつつ、国民の命を救うために奮闘している。
 
 たとえ、そうではなかったとしても、政府はいかなる事情があろうとも、国民を選別してはならないのです。
 
 国会議員も、地方議員も、公務員も、あるいは風俗嬢の方も、銀座のクラブのママも、ヤクザな稼業の方も、全て「同じ国民」なのです。国家は、職業やパーソナリティにより国民を選別してはならないのです。

 理由は、前にも書きましたが、
「他の全ての国民の権利を守らない限り、自分自身の権利も守られない」
 ためです。自分の権利「だけ」が未来永劫、守られるなどという、甘い話はありません。
 
 反ナチス運動家で、牧師でもあったマルチン・ニーメラーは、以下の詩の由来となる言葉を残しています。
 
『ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき。私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった』
 
 ちなみに、ニーメラー牧師の詩に「ユダヤ人(あるいはユダヤ系ドイツ人)」が含まれていないのは、反ナチスで立ち上がった牧師は、1937年時点で強制収容所に収監され、その後のナチスのユダヤ人弾圧を目撃することはできなかったためです。
 
 橋下氏は、恐らく狙って国民のルサンチマン(公務員などに対する憎しみ)を煽り、自らの権力強化を図ろうとしており、逆に分かりやすいのですが、情けないのは橋下氏の論調に、
「そうだ! その通りだ!」
 などと、膝を打って国民分断に賛成してしまう「他の日本国民」です。

 あのね、あんたは今、「選別に残れる」対象かも知れないけど、次の選別の際は「漏れる」かも知れないんですよ。あるいは、貴方の家族、友人が、選別から漏れるかも知れません。
 
 あなた、例えば自分の娘が「排除される側」だったとしても、橋本氏の言説に賛成できるの?
 
 国民を選別するということは、そういうことなのです。
 
 今後、
「日本国家は全ての国民を救うことができない。なぜなら、財政破綻するから。だから、国民を選別しなければならない」
 というナチスチックな発想が、次々にメディアで展開されることになるでしょう(バリエーションは様々でしょうが)。
 
 絶対に、彼らの言説に乗せられてはなりません。また、乗せられる国民が少なくないでしょうから、様々な手法で「いさめて」ください。
 
 本件は、下手をすると財政破綻論の打破以上に重大なテーマでございますので、今後も繰り返し取り上げます。
 
 国民を選別してはならない。この国民国家における基本原則を、どうか頭に叩き込んで下さい。

 

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