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令和の政策ピボット呼びかけ人に、高橋あさみ様(私立Z学園高等学校 1年4組 16歳)が加わって下さいました。
九年前と同様に、今年の3月も「非常事態」という言葉と共に、我々は生きていくことになります。
トイレットペーパーの買いだめが相次いでいることについて、トイレットペーパーの業界団体では「品切れになることはない」として消費者に冷静な行動を呼びかけています。
トイレットペーパーのメーカー各社で作る日本家庭紙工業会の林廣文会長は、「SNS上には『マスクとトイレットペーパーが同じ原料で作られていて品切れになる』という情報が出ているが、トイレットペーパーとマスクの原料は全く異なり誤った情報だ。また、『日本で売られているもののほとんどが中国製で輸入できず品切れになる』という情報も出ているが、日本の市場に流通しているおよそ97%は国内産でこれも誤った情報だ」と指摘しています。
そのうえで「現在、在庫は十分にあり、生産体制も問題ないので新型コロナウイルスの影響で品切れになる心配は全くない。仮に一時的に店舗からなくなってもすぐに供給されるので、消費者には安心して通常どおりの購入をしてもらいたい」としています。(後略)』
「なぜ、日本国民は非常時になると、買いだめに走るのか?」
について、考えてみたいと思います。
ポイントは二つあり、
1.平時に非常時の準備をしない
2.非常時に周囲に頼れるコミュニティがない
の二点でしょう。
わたくしの場合、何しろ赤ちゃんと暮らしており、高潮が発生すると100%沈む地域に住んでいますので、非常時の備えは欠かせません。
とはいえ、多くの日本国民、特に都市の核家族は、平時に非常時の準備をしていない(していれば、買いだめに走る必要はないわけです)。
理由の一つに、
「長引くデフレーション(貧困化)により、非常時を考える余裕を失った」
があると思います。心の面だけではなく、所得の面でも。
非常時への備えは、文字通り非常時にしか役に立ちません。つまりは、平時に非常時に備えた出費をすることは「ムダ」に思われがちです。
まさに、この「非常事態への備えはムダ」という発想が国家に適用され、緊縮財政が強行され、日本国家は非常事態に対応が不可能なレベルにまで衰退しているのです。
無論、家計が貧困に陥り、非常時への備えに支出できないといったミクロな事情は分かります。とはいえ、だったらなおのこと、マクロな対応が可能な国家には非常事態への備えを求めるべきだった。
そして、政府が非常時への備え、すなわち「安全保障」を強化するために支出し、デフレギャップを埋めれば、日本経済はデフレから脱却し、国民の貧困が解消。ミクロレベルな非常事態への備えも可能になるのです。
逆に、ミクロの困窮をマクロに適用し、
「自分が貧困で非常事態への備えができないにも関わらず、何を政府がカネを使って安全保障を強化してやがるんだ。ムダを削れ! 公務員も減らせ!」
といったルサンチマンを持つ国民が増えた結果が、現在の日本というわけですね。
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※「歴史に魅せられて、myと辿る邪馬台国への道(前編)」が視聴可能となりました。
二つ目。大東亜戦争敗北後の日本では核家族化、都市化が進み、家族・親戚や地域のコミュニティが破壊されてきました。
いざというとき、誰にも頼ることができない。
昔であれば、あるいは「故郷」であれば、いざというときに家族や親戚、隣近所が助けてくれる。ならば、特にパニック買いをする必要はない。
ところが、現在は都市で「核」となった家族が孤立し、いざというときに隣近所が助けてくれることもない。というか、隣近所とコミュニケーションをとったことすらない。
だから、非常時にパニックに陥る。
さて、結論ですが、非常事態の最中であるからこそ、我々は上記二つのポイントについて一人一人が考え、「絶望の先の希望」に向かう必要があります。
「カネ」を削った結果、非常時に国民を救うためのリソース(モノ、ヒト、技術)が不足している現在の日本の緊縮財政路線は、本当に正しいのか? 無論、正しくはないのですが、頑なな緊縮財政論者であっても、「今回」の政府の体たらくを見ていれば、ピボット(転換)する可能性があります。
さらに、人間は共同体に属さなければ生きていない生物であるという現実。平時はもちろん、非常時に助け合うことが「国民」の本質であること。
ナショナリズム(国民意識)という言葉に反射的に反発する人であっても、我々が助け合わなければ生きていけないという、この「現実」の下であれば、ピボットするかも知れませんよ。
我々は、日本国の主権者です。当たり前ですが、主権者である我々自身がピボットしない限り、令和の政策ピボットは実現しません。
一人一人、やれることがあります。
安全保障を含めた「国家の役割」を縮小し、カネを削り、全てを「自由に」などとやっていた顛末が、現在の日本であるという現実に気が付く人が増えれば増えるほど、絶望の帳が開かれ、希望に近づく日が早まるのです。
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