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『日本の少子化をくい止めるにはーその1ー(前半)』三橋貴明 AJER2019.10.15

 

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令和の政策ピボットの呼びかけ人に、経済評論家・株式会社クレディセゾン主任研究員の島倉原氏が加わって下さいました。
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三橋TV第151回【三橋と高家さんは高速道路が大好き】

https://youtu.be/D47f44eQadY

 

 チャンネル桜「Front Japan 桜」に出演しました。
【Front Japan 桜】防災と国防を妨げる敵は誰だ! / 赤ちゃんがいっぱい生まれる国を目指そう[桜R1/10/16]
 ちなみに、テーマは前半が上島先生で、後半がわたくし(逆じゃないですよ)。
 
 明日は、ラジオ日本【マット安川のズバリ勝負】に出演します。
 
 例の、日経新聞の久保田啓介編集委員の記事「「もう堤防には頼れない」 国頼みの防災から転換を」に関し、藤井聡先生が、日経新聞「経済解説部」に公開「疑義表明と要望」を送付されました

 万機公論に決すべし、でございますので、藤井先生の御許可の下、本日のエントリーで全文掲載させて頂きます。皆様、是非、共有、拡散して頂きますようお願いいたします。
 
◆◆◆
 2019年10月14日の日本経済新聞に掲載された、編集委員の久保田啓介氏の記名論説、
『防災対策、行政頼み限界
 は、日本の今後の防災力を低減させ、将来の災害によって失われる国民の生命と財産を拡大させ得る危険性をはらんだ重大な疑義をはらんだ論説であると、筆者は真剣に憂慮しております。

 このまま、この記事の論調が世間に放置され続ければ、(場合によって久保田氏の意図と乖離する方向で)世論が不適切に歪められ、防災対策において堤防を含めたハード対策が蔑ろにされ、(財政への影響も加味した上でも)国益を大きく毀損するものとなると強く危惧いたしました。

 ついては、久保田氏の論説掲載を所管されている「経済解説部」の市村部長様にお電話を差し上げ、下記書簡を郵送する旨をお伝え差し上げ、先ほど、速達書留で郵送いたしました。

 下記文面にも記載の通り、下記文書を、下記の形で公開差し上げます。
 日本経済新聞経済解説部の誠意ある対応を、心から祈念申し上げたいと思います。

京都大学大学院教授 藤井聡
―――――――――――――
『防災対策、行政頼み限界』(日本経済新聞2019年10月14日記事)に対する疑義表明と要望
日本経済新聞社 経済解説部長 市村孝二巳様
 過日は突然のお電話にご対応頂き、誠にありがとうございます。

 防災・強靭化研究等を専門の一つとして研究・教育を進めております京都大学大学院の教授で、強靭化の研究所であります京都大学レジリエンス実践ユニット長、ならびに政府の国土強靭化行政の大臣諮問会議でありますナショナルレジリエンス懇談会の座長を仰せつかっております、藤井聡と申します。
 
 お電話で申し上げておりました書状の方、改めてお送り差し上げます。
 
 貴社の2019年10月14日付日本経済新聞に、編集委員の「久保田啓介氏」の記名記事、『防災対策、行政頼み限界』が掲載されました。
 
 言うまでもなく、言論の自由が保証された我が国において、公益を大きく毀損しない限りにおいて、あらゆる言論が許容されてしかるべきであります。ですが、上記記事は、誠に驚くべきことに、国益を大きく損ねる重大かつ深刻な「誤解」を読者諸氏にもたらすリスクを濃密に抱えた記事であると、一専門家として強く確信いたしております。ついては、専門家としてのその懸念に基づき、当該「誤解」を回避するための適切な対応を、貴社として図っていただきたく、ここに「要望」申し上げる次第です。
 
 以下、筆者が懸念する「誤解」、ならびに、それを解くための適切な「対応」についての要望事項について、順をおって説明いたしたいと思います。なお、本文書は、本書を書簡として投稿すると同時に、インターネット上に公開させていただく予定にしております。
 
 貴社経済解説部としての誠意ある対応を心より祈念申し上げております。
 
(1)筆者が防災研究者として懸念する「誤解」
 まず、この度の台風災害は、本書簡執筆時点で、誠の遺憾ながら66か所で堤防が決壊し、70名以上(本書簡執筆の10月16日時点)の人名を失う、激甚なる被害でありました。
 
 ついてはこれからの防災対策において、今回の台風災害を重大な事象と捉え、こうした被害を繰り返さぬべく、今回の災害に関する検証を全力で行い、誠意の限りを尽くして今後の防災対策を考えねばならぬのは、貴社のみならず全ての(生き残った)日本国民の責務であると、改めて認識しております。
 
 そうした視点から考えました場合、日本経済新聞に掲載された上記の久保田氏名義の記事『防災対策、行政頼み限界』は、今後の災害を最小化させるよりもむしろ、「拡大」させる、極めて深刻な道義的問題を孕んだものであると、一専門家として心より憂慮いたすものでありました。
 
 なぜなら、
1)久保田氏の今回の記事を読んだ読者の(全員とは言わずとも)「多く」が、
『今後「堤防の増強が議論になる」だろうが、これからは行政頼みのハード対策を増やすのではなく、いわゆる自助や共助、ソフト対策を拡充していくべきだ』
 と解釈し、かつ、
2)国民の多くが、日本経済新聞という大量の国民に影響を及ぼす記事を通してそのように認識すれば、そうでない場合に比べて相対的に防災ハード対策が軽んじられ、縮減される可能性が拡大し、その結果、この記事が配信されなかったケースに比して、今後の大型台風等の襲来の際に失われる国民の生命や財産が(場合によっては飛躍的に)拡大する、という可能性がある、
 と真剣に危惧される、からであります。
 
 なお、当方は、『今後「堤防の増強が議論になる」だろうが、これからは行政頼みのハード対策を増やすのではなく、いわゆる自助や共助、ソフト対策を拡充していくべきだ』と久保田氏が断定していると主張しているものではありません。いうまでもなく、久保田氏は、論理的には「安易」なハード対策の推進を戒めるものであり、ハード対策そのものを完全否定しているものではないと言い得るものではあります。
 
 しかしながら、ここで筆者が指摘しているのは、上記1)で記載したような形で「解釈する」国民が多数に上るであろうと指摘するものであります。
 
 言うまでもなく、防災に関する言説は、将来の自然災害の際に命をなくす国民の数に直結するものであり、したがって、公器である「新聞」には、国益を損ねるような明白な誤解が生ずるような記事掲載を回避する責務があります。その責任を鑑みたとき、このままこの記事の「誤解」の可能性について、貴新聞社が何の対応も図らないのは、その責務を放棄し、蹂躙していると言われかねぬ深刻な事態を招きうるのではないかと一人の防災専門家として、真剣に憂慮している次第です。
 
【歴史音声コンテンツ 経世史論】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※10月1日から、長浜浩明先生の特別コンテンツ「日本人はどこから来たのか?」が視聴可能となりました。
 
 ついては、筆者がなぜ、そのような「誤解」を多くの国民が抱くに違いないと判断したのかについての根拠を以下に記載します。
 
 なお、その根拠を記載するに先立ち、防災においてハードとソフトの両面、ならびに自助・共助・公助が必要であることは論を俟たない、という点をここで明らかにしておきたいと思います。したがって、防災においては、それぞれの特質を踏まえたうえで、限られた資源を最大限に活用しつつ、防災効果を最大限に発揮するハード・ソフト、ならびに、自助・共助・公助の全てを見据えた総合的防災対策が必要であり、その選定においては、可能な限り、費用対効果をしっかりと考慮すべきであることは、何人たりとも否定し得ぬものです。そして、久保田氏もまた、日本経済新聞社の「防災」専門の記者として、まさに、その認識に立つ記者であるに違いないと想像いたしております。
 
 この点を明記した上で、上記1)の誤解が生ずることは明白であると筆者が認識している根拠を、以下に掲載いたします。
 
 第一に、タイトルが「防災対策、行政頼み限界」とありますが、これはいわゆる、「公助」は限界だと主張するものであり、言外に「自助」「共助」を強調すべきと主張するものであることは明白です。そして、「公助」は当然(ソフトを含みますが)ハードを含みます。一方で、自助・共助はソフトの割合が高い取り組みです。とりわけ、したがってこのタイトルは、「これからは行政頼みのハード対策を増やすのではなく、いわゆる自助や共助、ソフト対策を拡充していくべきだ」と主張するものだと多くの読者が認識することは否定し難きところと思われます。
 
 そしてこうした認識は、久保田氏が主張する「費用対効果」の視点を失わせる帰結を導き得るものです。なぜなら、上記のような認識に立てば、仮に客観的な視点からハードの方が費用対効果が高いという場合でも、闇雲にソフト対策を優先することになるからです。これは、闇雲にハード対策をソフト対策を優先させるのと同様の、防災効果を最小化させてしまう愚かな行為と言わざるを得ません。
 
 第二に、久保田氏は、この論説の中で「堤防の増強が議論になるだろうが、公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ。」と主張しておられます。無論筆者もまた「安易」な積み増しは厳に慎むべきであると考えます。しかし、筆者は「安易な工事の積み増し」を避けるべきであると同時に、「安易なソフト重視防災」もまた避けるべきであると、専門家として同じく確信しています。なぜなら、適切なハード対策を行えば、被災者も避難所もけが人も全てゼロにできるにも拘わらず、それを行わず、ただ単にソフト対策「だけ」で対応しようとすれば、被害は拡大することは必至だからです。
 
 しかしこの論説は、後者の「安易なソフト重視防災の危険性」については言及せず、「安易なハード対策の危険性」のみに言及しています。したがって、この文章に触れた読者の多くが、この論説を『これからは行政頼みのハード対策を増やすのではなく、いわゆる自助や共助、ソフト対策を拡充していくべきだと主張している』と大なる可能性で解釈することは明白です。
 
 以上の二点より、多くの読者が、
今後「堤防の増強が議論になる」だろうが、これからは行政頼みのハード対策を増やすのではなく、いわゆる自助や共助、ソフト対策を拡充していくべきだ
 と解釈することは避けられないと考えます。
 
 しかし、多くの国民がこのように解釈し、堤防の増強を含むハード対策を蔑ろにし、ソフト対策を中心に進めていくこととなれば、上記2)で示したように、より多くの国民の生命と財産が失われてしまうことは明白であると筆者は考えます。
 
 この点について、久保田氏は「堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない」が故に、「安易な堤防の増強を避けるべき」と論じておられます。
 
 しかし、この論証は、極めて稚拙なものと言わざるを得ません。
 
 そもそもこの久保田氏の論旨は「災害を防げる保証がない対策」が不要であると解釈することができます。しかし、もしも「災害を防げる保証がない対策が不要」であるなら、あらゆる防災対策が不要となってしまいます。なぜなら、確実に災害を防ぐことができる対策なぞというものは、存在し得ないからです。
 
 例えばもし、行政当局が「防げる保証がない場合には堤防整備を差し控える」という発想で防災行政を進めていたとすれば、ハード対策は全く進められなかったことでしょう。そしてその結果、今回の台風で、何十万人、何百万人の命が奪われ、何十兆円、何百兆円もの国民資産が奪われていたこととなります。そもそも、どんな堤防をつくっても、100%災害を防ぐことなどできません。それを超える外力がかかった場合災害が起こるからです。だから、基本的にあらゆる防災対策というものは、100%災害を防ぐためではなく、災害によって失われる命を一人でも減らすため、失われる国民の財産を少しでも減らすために行われているのです。
 
 実際、今回の台風でも、利根川や荒川という超巨大河川において、堤防決壊一歩手前まで至るという、極めて危機的な状況が生じていました。もし、様々なダム建設や堤防整備、稼働掘削や河道改修といった地道なハード対策を続けていなければ、今回の台風で利根川も荒川にて凄まじい洪水が生じていたことは間違いありません。
 
 今回氾濫した多摩川にしても、きちんとしたハード対策が重ねられていなければ今回の被害の何十倍、何千倍もの被害が生じていたことは、土木技術的に言って、火を見るよりも明らかです。
 
 つまり、江戸時代から弛まなく進められてきた首都圏の治水ハード対策は、首都圏の何十万人と言う命と、何十兆円という財産を守ったのです。そして、そうした治水ハード対策は全て、久保田氏の主張とは裏腹に「その対策で100%災害を防ぐとは言い切れない」中で進められてきたのです。そしてその帰結として、多くの国民の生命と財産を自然災害から救い出したのです。
 
 そして最後に、今回の66か所の堤防破堤の中には、適切なハード対策が進められていれば破堤していなかった箇所が存在していたこと、そしてそれを通して失われずに済んだ命がそのハード対策故に多数存在していたことは間違いない、と言う点も付言することができるでしょう(無論、この点については今後の厳密なる検証が不可欠であります)。
 
 以上の話は、「勉強したところで試験でいい点を取れる100%の保証はないが、勉強した方がよい点数が取れる可能性が高くなるから勉強する」という程度の当たり前の話と言えるでしょう。その一方で、久保田氏が展開した論理は、「勉強しても100%いい点が取れるとは限らないから、勉強しない」という聞き分けの無い子供の論理と、その構造を共有しているものと解釈することができるでしょう。そうした子供は試験でよい点数を取れなくなるように、久保田氏の論理に基づいて防災対策を行えば、災害の被害規模が飛躍的に拡大してしまうことは避けられなくなるわけです。
 
 以上より、久保田氏の本意であるか否かはさて置き、今回の久保田氏の論説を読了することを通して、多くの読者が、上記1)で示した様に、
『今後「堤防の増強が議論になる」だろうが、これからは行政頼みのハード対策を増やすのではなく、いわゆる自助や共助、ソフト対策を拡充していくべきだ』
 と認識し、かつ、それを通して上記2)で示したプロセスを経て、あるべき理性的な費用便益分析が蔑ろにされ、それを通して、この記事が広まることでより多くの国民の生命と財産が失われていく、という懸念が生じてしまうと危惧されるわけであります。
 
(2)日本経済新聞社への要望
 筆者は、公器である日本経済新聞社様には、以上のような「誤解」ならびに、それを通した深刻な「国益毀損」を回避する責務があると考えます。
 
 ついては、上記のような誤解、およびそれを通した国益毀損が生ずる懸念があると貴社、あるいは、貴社経済解説部でも認識されるようでしたら、是非とも、その誤解を解く情報を提供されることを、一専門家として、要望申し上げます。
 
 例えば、ハードとソフトとのバランスについては、例えば次のような主張もあり得るものと考えます。
 
『「ハード対策」で全てを防げるわけではないから、「ソフト対策」も必ず必要となる。しかし、ハード対策は、抜本的に被害を縮小し、時に防ぐことも可能となる。しかも、資産は「走って逃げる」ことが出来ない以上、ソフト対策にこそ凄まじい限界がある。だから、ソフト対策の拡充を急ぐと同時に、限られた資源の範囲で可及的速やかなハード対策の展開も決して止めてはならないのである
 
 これは、ハードとソフトのバランスのとり方の一つのかたちではありますが、
 
①ソフトに限界がある以上、ソフトだけを闇雲に進めればよいと言うわけではない。ハード対策もあわせて進める必要がある。
②ハードに限界がある以上、ハードだけを闇雲に進めればよいというわけではない。ソフト対策もあわせて進める必要がある。
③ただし、ハード対策が功を奏すればソフト対策の多くが不要になる、と言うほどの大きな効果をハード対策は持っている(例えば、堤防で水際で洪水を止められるなら、避難行動も避難所もBCPも全て不要となる)。
 
 という3の論点を含めたものであります。筆者は、この3つの点いずれもを考慮した防災対策を進めることが必要であると考えます。これらのいずれが欠けても、将来、災害によって失われる国民の生命と財産が「拡大」してしまうことは避けられないでしょう。
 
 久保田氏の議論は、防災における費用対効果を考える上で極めて重大な意味を持つ「③」の論点が不十分、ないしは欠落しているものと考えます。そしてそれであるが故に、将来の災害による国民の生命と財産の毀損量を拡大するリスクを秘めたおそるべき論説の新聞掲載行為であると、筆者は考えます。
 
 久保田氏、ならびに貴社もまた、将来の災害による国民の生命と財産の毀損量の縮小を願っておられるものと考えます。ついては、本稿で指摘した誤解を避けるべく、そして、適切なハード対策さえなされていれば、この度失われた60名以上の命の多くが救われた可能性が十二分に存在するのだということを鑑みつつ、「以上の誤解を解くための記事を、同様の体裁で貴社紙面に掲載する」か、あるいは、
「『防災対策、行政頼み限界』に対する、防災・強靭化専門家からの異論・反論記事を、貴社紙面に掲載する」
 といった対応をご検討頂くことを、心より要望申し上げます。そして、後者の方針を採用されるようでしたらもちろん、以上に論じた内容を簡潔にとりまとめた読者向けの記事を、執筆させていただく用意がありますことを、ここに改めて明記させていただきます。
 
 いずれにせよ、言うまでもなく民主主義を支えるのは、多様な意見に基づく多様な議論であります。以上の筆者からの指摘、ならびに要望が、貴社が志す適切な世論形成の一助となります事を、心から祈念申し上げます。
 
京都大学大学院教授 藤井聡
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 日本経済新聞は、「新聞は社会の公器である」と主張するならば、藤井先生の要請通り、防災・強靭化専門家からの異論・反論記事を掲載しなければなりません。
 日経新聞の誠意ある対応に期待します。
 
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