株式会社経世論研究所 講演・執筆依頼等、お仕事のご依頼はこちらから
三橋貴明のツイッターはこちら
人気ブログランキングに参加しています。
チャンネルAJER
『MMTと令和の政策ピボット(前半)』三橋貴明 AJER2019.4.30
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一般参加可能な講演会のお知らせ。
【令和元年7月5日(金)三橋TV公開収録&懇親会】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
令和の政策ピボットの「資料室」がオープンになりました。
また、メルマガ「令和ピボットニュース」が始まりました。皆様、是非とも、メルマガ登録を!
三橋TV第98回【私の政局予想は必ず外れるんだからね!!】

https://youtu.be/2CFpwo_4KLw

 

 6月に入りました。10月の消費税増税は、もはや決定でしょう。日本経済は一段低い「L字型低迷」に突き落とされることになります。

 東京でドロドロとした現実に触れていると、少し前まで、天国に近い島(波照間島)にいたのが、まるで夢のようです。
 
【写真 波照間島 ニシ浜にて】

 リニア新幹線が開通し、飯田市に引っ越したら、是非とも波照間島に(余裕があったら)別宅を建設したいです。

 暑い波照間の夏と、涼しい飯田の夏。極寒の飯田の冬(雪はあまり降りませんが)と、過ごしやすい波照間の冬を感じながら暮らす。人類、史上最高の贅沢ではないでしょうか(いや、かなり本気で)。

 もっとも、波照間島は天国に近い夢の島ですが、島での生活は「現実」です。全てを船便で運び込まなければならない波照間島で、現代的な生活を送るにはコストがかかります
 
 コストがかかるならば、
「そんな島に住まなければいい。選択と集中だ」
 とは、ならんでしょう。世界は経済合理性のみで動いているわけではありません。

 ニシ浜を美しく思う人間の気持ちは、経済学の前提である「経済合理性のみを追求する経済人」にはありません。とはいえ、人間にはあるのです。

 しかも、国防上の理由からも、辺境の島々を無人化するわけにはいきません。日本の場合、無人島にした日には、三年後に中国人の漁民が住み着いていることでしょう。

 美しい島の暮らしを成立させる。日本国の領土を守る。

 経済合理性と無関係な人間の価値観、そして、安全保障。共に、主流派経済学が苦手というか、スルーしている観点になります。
 
 なぜならば、「美しい島での生活」「国家の国境を守る」といった曖昧な概念を持ち込むと、「宇宙の法則に従った美しいモデル」が描けなくなってしまうためです。(ついでに、経済学が投資による生産性向上や、銀行の信用創造(貨幣生成)を無視しがちなのも同じ理由)

 赤ちゃんを「可愛い」と思う気持ちも、同じです。フリードリヒ・リストが、かつて経済学を皮肉って、
「豚を育てる人間は生産的であるが、子供を育てる人間は、非生産的である」
 との言葉を残していますが、宇宙の法則とやらを追い求める主流派経済学と、経済合理性以外の理由でも動く現実との経済は、これはもう決定的に相いれないのでございます。

 今回から三回かけ、
「なぜ、いわゆるリフレ派を含め、主流派経済学者はMMTを血眼を変えて批判しているのか?」
 について解説したいと思います。普通の人は気が付かないというか、考えもしない、つまりはバカバカしい理由があるのでございますよ。

 経済人をはじめ、経済学には愚かな(かつ狂った)前提が多々あります。前提の一つが「効用最大化」が目的、になります。

 効用とは、モノやサービスを消費者が買うことにより得られる満足感です。経済学は、消費者が「モノやサービスを十分に提供されること」を究極の目的としているのです。

 なぜ、そうなったのかと言えば、産業革命以前の世界は「収穫逓減」、つまりは投入する生産要素一単位当たり生産されるモノ、サービスが「減っていく」環境だったためです。

 例えば、農業において土地や労働者を投入しても、労働者一人当たりの生産量は次第に減っていくという話です。こうなると、
「食料生産が人口増に追いつかなくなる」
 という、いわゆるマルサスの罠的な発想に至ります。 

 実際には、産業革命を経て、人類は収穫逓増の経済を手に入れ、マルサスの罠は回避されます(詳しくは、中野剛志先生の「富国と強兵」を)。規模の経済、範囲の経済、ネットワーク経済などの効果で、投入する生産要素一単位当たりの生産量は、むしろ増えていったのです。
 
【歴史音声コンテンツ 経世史論 始動!】
http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※6月15日(土)まで、特別コンテンツ【MMTポリティクス~現代貨幣理論~第一回】をご視聴頂けます。是非、ご入会下さい。
 
 ところが、主流派経済学は産業革命前の発想のままで、
「消費者がモノやサービスを手に入れることができなければならない」
 という効用最大化の価値観に固執します。すると、どうなるか。

 経済学にとって、デフレは悪ではないのです。なぜならば、供給能力が総需要を上回っているため、モノやサービスが必要なだけ生産されているためです。

 逆に、悪はモノやサービスの不足、つまりはインフレです。インフレとは、消費者がモノやサービスを必要なだけ手に入れられていない、効用が満たされていない状況なのでございます。
 
 というわけで、主流派経済学は収穫逓減の時代も、収穫逓増の時代も、一貫して「モノ・サービス不足を防ぐ」つまりはインフレ対策として進化しました。

 MMTの攻勢を受け、デフレ脱却を叫んでいたはずの「いわゆるリフレ派」までもが、
「MMTなど採用したら、インフレ率を制御できなくなる!」
 と叫んでいるのは、いわゆるリフレ派も経済学の一派に過ぎず、経済学がインフレを敵視しているためなのでございます。
 
 主流派経済学者がどう思とうとも、デフレは悪です。実は、「現実に悪なデフレ」を、「デフレは悪でないと考える主流派経済学」が「おカネのプール論」という重荷まで背負わされた状況で解決することを迫られた結果、考え出されたアイデアが、いわゆるリフレ派になります。まあ、この辺の話は明日。 

 「可愛い赤ちゃんを育てる」「美しい島に暮らす」「国家の安全保障を強化する」など、効用の最大化や効率最適化が必ずしも善にならない「人間の価値観」は、インフレを促進しかねないので、切り捨てる。

 これが、冗談でも何でもなく主流派経済学の正体なのです。
 
 つまりは、
「可愛い赤ちゃんは育てるが、売買できる豚は育てない」
「流通コストが跳ね上がる、美しい波照間島で暮らしたい」
「コストを少々無視してでも、国防を強化しなければならない」
 と考えるわたくしは、主流派経済学の「敵」なのです。なぜならば、
「そんな考え方が広まると、インフレ率を制御できなくなる~」
 ためでございます。
 
 バカじゃないの! と、思われた方が多いでしょうが、実際にバカなのです、経済学者は。
 
 いずれにせよ、わたくしは自分の「非・経済合理的」な考え方を改めるつもりはありませんが。わたくしは経済人ではなく、人間なので。(続く)
 
「自分も経済合理性以外の価値観も尊ぶ人間だ」と、思われた方は、
↓このリンクをクリックを!
本ブログへのリンクは以下のバナーをお使いください。