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『言語と民主主義①』三橋貴明 AJER2018.4.24
https://youtu.be/7l3zThwiv-k    
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 権威主義とは、特定の「権威」に個人や社会を服従させる体制であり、国家権力主義ともいいます。


 わかりやすく書くと、独裁制あるいは専制性で、梅棹忠雄の「文明の生態史観」における、第一地域(ユーラシアの両端である日本、西欧)を除く地域(ほとんど全てですね)は、歴史的、伝統的に「権威主義」でございました。


 文明の生態史観で「第二地域」に分類された中華帝国、インド帝国、ロシア帝国、イスラム帝国、そして各帝国の属国、衛星国は、封建制度が発達しませんでした。結果的に、「合議」により政治を進めることもなく、専制的な皇帝制のの下で歴史を紡いできました。つまりは「伝統的権威主義国」です。


 わたくしは、第二地域の権威主義の起源は、ユーラシアステップの遊牧民の「族長制」にあると考えていますが、まあ、このあたりの話はおいおい。


 1992年に刊行となったフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」では、国際社会において、民主主義と自由経済が最終的に勝利し社会の平和と自由と安定を無期限に続くとされていました。


 つまりは、民主主義や自由主義経済について「普遍的な善」であるとされていたわけです。


 「文明の生態史観」を理解すると、「歴史の終わり」は相当に無茶があることがわかります。歴史的、伝統的に「民主主義」を受け入れることが可能なのは、封建制度を経験した日本、西欧、そしてその延長線上のアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、限られた国々のみなのです。


 フクヤマは1991年末にソ連が崩壊したことを受け、「歴史の終わり」という仮説に自信を持ったことでしょう。とはいえ、ソ連の崩壊は歴史的には、社会主義の敗北ではなく、「ソ連」という権威主義国から「ロシア共和国」という権威主義国への、一種の易姓革命としてとらえるべきだと思います。


 旧:第二地域において民主主義を強引に普及させようとすると、どうなるのか。イラク戦争の後始末、あるいは「アラブの春」の顛末を見れば、誰でも、
「民主主義とは必ずしも普遍的な善ではない」
 という事実がわかるはずです。

                 


ロシアで反政権デモ1000人超拘束 プーチン大統領4期目就任目前に…野党指導者も
https://www.sankei.com/world/news/180506/wor1805060006-n1.html
 ロシアの首都モスクワなど数十都市で5日、プーチン大統領の通算4期目就任を前にした反政権デモが行われ、少なくとも1029人の参加者が治安当局に拘束された。野党指導者のナワリヌイ氏もモスクワ中心部で、無許可デモを呼びかけたとして取り押さえられた。モスクワでは、若年層を中心に推定1万人近くの参加者があり、政権長期化への不満がくすぶっていることを改めて示した。
 3月18日に行われた大統領選では、現職のプーチン氏が77%を得票して圧勝した。今月7日にはモスクワのクレムリン宮殿で就任式が予定されている。プーチン氏は2000年に最初の大統領に就任しており、憲法の規定に従えば、次の任期は24年までとなる。(後略)』


 プーチン「皇帝」の就任式を前に、ロシアで反政権デモ参加者が1000人以上も拘束されました。


 これは、民主主義や言論の自由を「普遍的な善」とみなす西側メディアにとっては、「許されざる政治弾圧」となるのでしょうが、プーチン「皇帝」側から言わせると、「公共の秩序を維持するための活動」となるのでしょう。


 本エントリーでは、善悪論を述べたいわけではありません。


 単純に、旧:第二地域の国々では、西側(および日本)的な「民主主義は素晴らしい」「言論の自由は尊ばれるべき」といった価値観が通じない。しかも、それは歴史的なものであるという「事実」を書きたいだけです。


 さらに厄介なことに、アメリカを覇権国としたグローバリズムが終焉に向かい、現在のように「国家」が経済に関与することが望ましい時期において、権威主義国は民主主義国よりも圧倒的に有利であるという「事実」も知る必要があります。


 日本で政治家が「財政拡大」と言い出すと、即座に野党やメディアが、
「政府は無駄遣いをするな!」
「国の借金をまた増やすのか!」
 と、批判の大合唱を始めます。


 それに対し、権威主義国は何しろ言論の自由もなければ、まともな野党もいません。しかも、少々の反対勢力など「蹴散らし」た上で、国家主導の「資本主義」を推進することができるのです。具体的には、投資拡大ですね。


 しかも、権威主義的な国家主導経済が、下手をすると民主主義国の政府よりも国民を富ませ、「経世済民」を実現しかねないのです。


 わたくしたちは、単純に「民主主義が善、権威主義は悪」という価値観では生き延びられない世界で暮らしています。この現実を、日本国民は理解する必要があると思うのです(だからといって、日本も権威主義的になるべきと言いたいわけではありません。念のため) 

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