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『国土経済論(後編)①』三橋貴明 AJER2018.2.27
https://youtu.be/d1Wb6lbcE4I
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一般参加可能な講演会のお知らせ

これからのワークスタイルの変革~中堅・中小企業のピンチをI o T でチャンスに~

【日時】平成30年3月28日(水)14時30分~17時00分(14時より受付開始)
【会場受付】オークラフロンティアホテル海老名(海老名市中央2-9-50)
【定員】先着80名(定員になり次第、締切となります)

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 わたくしが「移民反対論」を主張しているのは、もちろん、
「日本の文化伝統が壊され、ナショナリズム(国民主義)が成立しなくなる」
「外国人犯罪が増える」
 など、現在の欧州を苦しめている問題もありますが、実際には、
「生産性向上が不要となり、経済成長のチャンスが潰される」
 という論点を最も重視しているわけでございます。


 わたくしの移民反対論を受け、「ならば人手不足をどうするのか!?」と、代案を出せ方式で反発する人が少なくないですが、代案は100回以上も出しています。すなわち、生産性向上です


 厳密には、生産性向上のための四投資(設備投資、人材投資、技術投資、公共投資)の拡大になります。

 人手不足を生産性向上で解消できるのか、と、思われたかも知れませんが、過去の日本国民は一度、実際にやったわけです。すなわち、高度成長期です。

 高度成長期の失業率は今よりも低く、完全雇用が成立していました。それにも関わらず、インフレ率はGDPデフレータベースで5%前後、インフレギャップが継続する状況でした。


 今をも超える「超・人手不足」だったわけですが、日本は地政学的な理由から外国人労働者を入れることができませんでした。結果、インフレギャップ(供給能力不足)を解消するためには、生産性向上以外の方法がなく、生産性を高める四投資が拡大し、我が国は世界第二位の経済大国に成長したわけです。


【高度成長期の西側先進国の経済成長率(%)】

http://mtdata.jp/data_57.html#kodosensin


 高度成長期の日本の成長率は、他の西側先進国の二倍水準をキープします。これは、日本人が「優秀」だったからなのでしょうか。


 絶対に違います。


 単に、外国人労働者を入れなかった(入れられなかった)ため、生産性向上の投資が拡大し、国民の実質賃金が上昇し、豊かになった国民が消費や投資という需要を増やし、インフレギャップが埋まらず、さらなる生産性向上の投資が起きるという「経済成長の黄金循環」が回り続けたためです。(※生産性向上=実質賃金上昇になります)


 西ドイツの成長率は、55年までは日本並みに高かったのですが、55年以降に急落。西ドイツ人が、いきなり「優秀でなくなった」という話なのでしょうか。


 やはり、違います。西ドイツは50年代半ばから外国人労働者を大々的に受け入れ始め、生産性向上のペースが落ちたのです。


 経済成長や生産性向上、実質賃金について「正しく」理解していれば、移民受入あるいは「移民を受け入れない」が国民経済にいかなる影響を与えるのか、誰にでも理解できるはずなのです。


                                                    


 移民を受け入れるとインフレギャップが外国人労働者で埋まり、人手不足が解消するため、生産性向上が不要になり、国民の実質賃金は低迷し、経済成長が抑制される。

 わたくしの主張に、抽象性はほとんどないはずです。言葉は全て定義し、かつデータに基づき書いています。「文化伝統」等は、確かに抽象的ですが、だからこそわたくしはその種の議論を避けているわけです。


 もっとも、日本の議論は移民受入を含め、ほぼ全て「抽象論」で進みます


『【外国人労働者問題】 宮本 雄二さん
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/teiron/article/402193/
◆受け入れ共生は可能か
 外国人労働者の問題を取り上げることに実は躊躇(ちゅうちょ)した。私の専門外であり、私自身、専門外の人たちが思いつきのコメントをすることに、どうしても批判的だからだ。現実ないし現場を知らずに、いくらきれい事を並べても、やれないことは多い。実現できないものをあたかも実現できるかのように語るのは無責任であり、不誠実だと思う。
 同時に専門外の方の意見には、はっと気づかされて蒙(もう)を啓(ひら)かれたものもある。それは多くの場合、思いつきではなく異なる視点に立って深く考え抜かれた意見だ。私の見解がどちらに属するか、それは皆さんの判断に任せるとして、先を急ごう。
 外国人労働者を正式に受け入れるかどうかで国論は割れている。これは結局、移民受け入れの是非の問題に帰着する。社会の現場は、ますます外国人を必要としている。建設現場だけではない。農林水産業、製造業、小売業などの現場でも労働力が足りない。介護もそうなりつつある。さらに情報技術(IT)などの高度な技術者まで不足している。日本経済発展のためだ、などと意気込まなくとも、経済と生活の現状を維持するためだけでも外国人の存在は不可欠になっているのだ。(中略)
 EUはその理念の一つ、単一市場実現のために、域内における労働移動の円滑化を重視してきた。また人権重視の観点から難民受け入れにも積極的であった。その結果としての移民問題なのだ。国民が、これ以上の移民の増大にノーと言いだした。国民の意思を尊重するのが民主主義だ。国民の権利と平等を重視するのが自由主義だ。自由民主主義は、民主と自由の間のバランスをとるのが難しい。既に住む人と新しく来る人の間の人権の調整でもある。
 米国のアトランタに住んでいた頃、白人と黒人の居住区は別だった。ある黒人の指導者にどうして一緒に住まないのか聞いてみた。彼の答えは「生まれ育った環境や文化が違えばお互いに気詰まりだ。だったら別々に住んだ方がいい」というものだった。生活の知恵ではある。
 住み分けろというつもりはないが、移民受け入れを政策として決め、それから生じる問題点は、大いに知恵を出して一つ一つ解決していく。このようなやり方もあるのではないだろうか。』


 何度読んでも、なぜ「移民受け入れを政策として決め」という結論になるのか、さっぱりわかりません。



 要は、「移民受け入れを政策として決めるべき」という結論がまずあり、そこに「それっぽいレトリック」をくっつけて移民擁護論を展開しようとした結果、こんな意味不明の長文になるわけです。

 何しろ、EUやアメリカの反移民論に言及した直後に「移民受け入れを政策として決め」と書いているわけですから、ロジックとして成立していないのです。


 移民受入は、日本国の将来を決定的に変えてしまう重大なイシュー(論点)です。しかも、現在の欧州を見ていれば分かりますが、移民問題は取り返しがつきません

 この手の重要な論点ですら、抽象的かつ結論が決まったいい加減な議論を経て、次々に政策が決まっていく。


 抽象的な移民受入論で日本国を「移民国家」と化してしまい、本当にいいのですか? 具体論で議論しましょうよ。人手不足の解消はどうすればいいのか、経済成長のために必要なのは何なのか。自分の頭で具体的に考えさえすれば、誰にでも理解できるはずなのです

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