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『ポストグローバリズム時代に一番有利な国①』三橋貴明 AJER2016.12.27
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昨日の予告通り、元旦の伊勢神宮で初詣をするという無謀にチャレンジしてきました。
【伊勢神宮 宇治橋にて】
【伊勢神宮 本宮下で】
【伊勢神宮 おかげ横丁】
さて、1月に執筆する書籍のテーマは、ずばり「生産性と文明」です。
ピラミッドは、なぜ作られたのか。あるいは、作ることができたのか。
わたくしは建築工法の素人なので、「いかなる技術でピラミッドが作られたのか?」は分かりません。あるいは、歴史学者ではないため、「なぜ、ピラミッドが作られたのか?」も、興味はありますが、確定的なことは言えません。
とはいえ、自分の専門から、一つだけ確信していることがあります。それは、当時のエジプトの食料生産の生産性が高くなければ、ピラミッドを建設することは絶対にできなかった、という点です。
1978年に、大林組がクフ王の大ピラミッドについて、
「現代の技術を用いるなら、どのように建設するか」
について試算をしました。結果は、総工費が1250億円、工期が五年、そして最盛期の従業者人数3500人とのことでした。
さすがに、古代エジプトの建設技術が現代を上回ることはないでしょうから、3500人がフルで五年間、働いたと計算すると、3500人x365日x5年間で、638万7500人日になります。
上記の試算は、ピラミッドの建築手法が確定していない以上「適当」にならざるを得ないのですが、それにしても巨大ピラミッド一基を建設するために、何百万人日の労力が費やされたのは確実だと思います。
ということは、ピラミッド建設時、何百万人日分の労働が「農業生産」には振り向けられないことになります。とはいえ、ピラミッド建設に従事する何千、何万もの人々は農産物を食するわけです。
つまり、ピラミッド建設に従事する何千、何万人の胃袋を満たし、当然ながらそれ以外の人々の胃袋を満たすだけの農業生産性がなければ、ピラミッドを建設することは物理的に不可能だったという話になります。
さて、我が国の「起源」とでもいうべき伊勢神宮には、天皇陛下の遠い祖先たる天照大神が祀られています。
伊勢神宮の本宮は、ご存知の通り「唯一神明造」で作られています。唯一神明造は、弥生時代の穀物倉庫が原型と言われている、半端なく古い建築様式です。ピラミッドの建築様式は失われてしまいましたが、神宮には残っています。
2013年10月に遷御の儀が行われた第62回式年遷宮は、20年ごとに、1300年以上もの長きにわたり繰り返されてきた神宮の儀式です。式年遷宮が継続してきたからこそ、我が国には唯一神明造という太古の建築様式が受け継がれているのでございます。
唯一神明造の継承にせよ、式年遷宮にせよ、「人間の胃袋を満たす」という経済合理性とは、あまり関係がありません。すなわち、経済合理性以外の価値観を持たない「経済人」にとっては、理解できない世界なのです。
経済合理性を追求するならば、式年遷宮などやらずに、
「神宮をコンクリートで建設すれば、すむ話じゃないの(笑)」
という話になってしまいます。
そうではないだろ!
という話に加え、我が国の生産性が低迷したままでは、1300年もの期間、式年遷宮を続けられるはずがありませんでした。天照大神をお祭りする大社を建設し続けるためには、建設に従事する方々の胃袋を満たすに足る農産物の生産力、すなわち、農業生産性が必要なのです。
文明とは、生産性向上と直結しているのでございます。生産性向上により、「可処分時間(「可処分時間」がデフレを解決する!!
)」に余裕が出て初めて、文明は進化するのです。
逆に言えば、いわゆる「ブラック企業」方式で、生産性向上ではなく労働者のブラック労働により供給を実現しようとする考え方は、文明を退化させることになるのでございます。
さらに一つ、文明を退化させる経済現象があります。もちろん、デフレーションによる所得縮小です。
というわけで、明日に続きます。
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