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『高度成長期を知ろう①』三橋貴明 AJER2016.3.15

https://youtu.be/DoOeeMOAMNQ
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2016年4月10日(日)12時から
日台親善シンポジウム「台湾の対中経済政策を考える」

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 昨日、ラジオ日本の「マット安川のずばり勝負」に出演させて頂いたのですが、そこで視聴者さんから以下の質問を受けました。
三橋さんは集団的自衛権や原発についてどのようにお考えですか? 経済合理性よりも大切なものがあると思うのですが」
 恐らく、この方は安倍政権が経済合理性を追求し、
「南シナ海の権益(シーレーン)を守るために集団的自衛権を推進した」
「原子力発電を再稼働していっている」
 と、批判的な視点で見ているのでしょう


 当たり前ですが、経済合理性よりも大切なものなどいくらでもあります。その最たるものが、国民の安全保障です。上記の政策で言えば、防衛安全保障やエネルギー安全保障を維持する方が、経済合理性(利益の追求、という意味)よりも優先順位が高くなります。


 とはいえ、もちろん質問者は「安全保障」を「経済合理性よりも大切なもの」と位置付けていたわけではないと思います。とにかく、集団的自衛権や原発は嫌、という、日本人のマジョリティ的な考え方をお持ちなのだと思います。


 上記の質問に対し、わたくしの回答は、

「集団的自衛権の議論をする際に、中国の脅威に対しいかに対抗していくのか、各党が対案を出し合って議論するべきだった。もちろん、集団的自衛権は絶対にノー! 個別的自衛権で対抗するという提案があっても構わない。その場合は、防衛費が四倍くらい必要になるが、いずれにせよ国会審議において具体策を議論をするべきだったが、現実には憲法違反だの戦争法だの、抽象的な方向に話が進んでしまったのが大変残念」


「将来的なエネルギー安全保障を維持強化する代替エネルギーがあり、脱原発までのプロセス、つまりは使用済み核燃料の処分、廃炉などへの投資、技術開発が明確化されるならば、脱原発を目指しても一向に構わない。とはいえ、現実には脱原発派からその手の話を聞いたことはない」

 というものでした。質問者の方からしてみれば、大変不本意でしょうが、わたくしは「集団的自衛権に賛成!反対!」「原発推進に賛成!反対!」といった単純論を嫌います

 ところで、大変興味深い話を聞いたのですが、集団的自衛権の審議が行われていた頃、民主党(当時)の長島昭久議員らが、きちんと「対案」を作り、政党として提出しようとしたそうです(素晴らしい!)。ところが、執行部で拒否されてしまった、と。


 何じゃ、そりゃ。でございます。

 要するに、当時の民主党執行部は、集団的自衛権に関連して「真っ当な議論」を回避ししたかったわけです。

 一体、その感覚は何なのだろう・・・・、と悩んでいたら、タイミングよく謎を解いていくれる書籍に出会いました。佐藤健志氏の「戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する 」になります。



 佐藤氏は、上記において、「戦後」という時代に置かれた日本の言論や政治の「思想」について、以下の三つに分類しています。


(1)完全従属型:アメリカの全面的な子分となる
(2)絶対平和型:いわゆる「平和国家」として、安全保障について消極的な態度を取り、憲法前文に記されるところの「諸国民の公正と信義」に頼って、国の存立と発展を図る。
(3)自主独立型:いわゆる「普通の国」として、安全保障について積極的な態度を取り、独自の国家戦略を遂行することで、国の存立と発展を図る。


 わたくしが(1)から(3)のどこに位置するかは書きませんが(分かると思いますが)、興味深いことに上記三つの立場は、特定のイシューに限ると共闘できるのです。

 例えば、アメリカの事実上の属国という立場から抜けたいという意味では(2)と(3)は同じです。安全保障を重視するという立場では、(1)と(3)は共通します。さらに、大東亜戦争に関する評価では、(1)と(2)が方向性が同じになります。


 もちろん、(2)のアメリカの属国から抜けるという立場は、中国の覇権に入るという話ではないか。大東亜戦争に対する評価は、(1)はアメリカ様礼賛で、(2)は「アジアに悪いことした」路線じゃないか、と、細部は異なるのですが、少なくとも大きな方向性は上記の通りになるのです

 本ブログの場合、(3)にシンパシーを感じる方が少なくないのでしょうが、その場合、我々が負担する「コスト」は最も大きくなります。何しろ、自主独立とは、日米安全保障条約に依存せずとも、国家の安全保障を自国で確立するという話なのです。


 というわけで、「現実的」には日米安保を維持しつつ、(3)を目指すという話になるのですが、その場合は(1)に近づかざるを得ません。自主独立を目指したはずの「保守」だったのが、いつの間にか「親米保守」に変わってしまうわけですね。


 佐藤氏は日本の言論や政治の思想を三つに分類した上で、現在の日本は「そもそも答えがない」状況に置かれているとして、政治家が、


(1)「自分の立場こそ絶対に正しく、他に選択肢はない」という姿勢をとる(There is no alternative)
(2)真に重要な論点について議論したがらない。そのような議論は「そもそも答えがない」ことを暴露しかねず、「自分の立場が絶対に正しい」という前提の否定につながるため
(3)立場の違う相手とは折り合おうとせず、逆に威圧して攻撃する


 という姿勢が目立っていると喝破しています。

 さて、先の集団的自衛権の議論を巡る、民主党執行部の手法の「根幹」が理解できたのではないでしょうか。


 ところで、佐藤氏は上記を踏まえ、現在の日本は政治的に「キッチュ」となっていると書いています。詳しくは是非とも書籍をお読み頂きたいのですが、政治的なキッチュとは、

(1)明らかに無理がある建前
(2)みんなが共有している「はずだ」という点を根拠に「崇高にして達成可能な、美しい理想」のごとく絶対化し、
(3)そのような姿勢を取るうえで都合の悪い一切の事柄を、汚物のごとくみなして排除したがる態度

 とのことでございます。


 う~む・・・。集団的自衛権や原発のみならず、経済政策(例:デフレは貨幣現象)を巡る議論、論争を見ても、思い当たる点が多々あります


 自民党や安倍政権にしても、「この道しかない!」と、サッチャーのTINA(There is no alternative)と同じことをスローガンに掲げたわけですから、十分にキッチュです。


 三つの「型」が三すくみ状態に陥り、政治家や言論界がことごとくキッチュと化していく我が国が、亡国への道を回避することはできるのでしょうか。


 一つの「道」があるとすれば、国際的な環境の変化です。例えば、実際に中華人民共和国と全面戦争にでもなれば、状況は一変し、「戦後」が終わります。「外に頼らなければ変えられないなんて、情けない」などと思われたでしょうが、「内」では三すくみ状態になってしまうからこその、キッチュ化なのです。


 あるいは、アメリカの政治情勢です。現在のキッチュ化は、アメリカが「現在のまま」ということが前提になっています。
 そういう意味で、アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが共和党側の有力候補になっていることは、注目すべき事実だと思います。


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