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『日本の亡国を防ぐために①』三橋貴明 AJER2015.9.15(5)

https://youtu.be/oN59AffMGQE

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 ヒカリランド「ドイツ第四帝国の支配と崩壊 亡国の新帝国主義 」Amazon予約開始しました。


  10月17日に、三橋経済塾第四期第十回講義があり、ゲストとして大石久和先生にご講義頂いのですが、ドイツ人について興味深い話をして下さいました。


 ドイツ人は、高速道路で速度制限がかかっていた場合(ドイツのアウトバーンは基本的には速度制限なし)、例えば「60キロ」とあれば、本当に60キロにスピードを落とすそうです。つまりは、ルールを守るのです


 大井と板橋を結ぶ、わたくしが愛する首都高速道路の山の手トンネルは、実は制限時速60キロです。とはいえ、実際に60キロで走っている車は見たことがありません。日本人ドライバーは、制限時速と危険速度の「間のどこか」適切な速度を合理的に判断し、運転しているように思えます。


 念のため書いておきますが、別にドイツ人はまともで、日本人はダメと言いたいわけではありません。わたくしたち日本人は、ドイツ人とは異なり、
「ルールを守れば、それで善」
 という風には考えず、全体的な効率とルールの間の適切な値を「模索」することを重視するのではないか、という話です。


 例えば、山の手トンネルを時速80キロで走っているドライバが、なぜ制限速度をオーバーしているかといえば、
周りの車がそのくらいの速度で走っているから、自分もそれに合わせた方が合理的
 という理由がほとんどです。わたくしたち日本人は、ルールを守ること自体に喜びを感じることはなく、「全体的に、合理的に巧く物事が進んでいる」ことを欲していないでしょうか。(しつこいですが、善悪の話ではないです)少なくとも、わたくしはそうです。


 逆に、ドイツ人の場合は、「ルールを守ることは正しいことだ。ルールを守っている自分は、正しい存在だ」という思考をしがちで、その分、むしろ合理性を欠いているようにすら思えます。川口マーン恵美先生が、現代ビジネスのシュトゥットガルト通信で、ドイツ人の気質について、


「正しい人間でありたいという願望のとても強い人たちです。倫理的でありたい、正しい行動を取りたい。つまり、周囲から尊敬される人になりたいのです。
 そして、正しいと思う行動を取れるとき、彼らは大変幸せで、心洗われた気分になり、自己陶酔に陥る。そういう場合のドイツ人の自画自賛たるや、相当なものです。」
(2015年10月13日『日本人が知らない「EUの盟主」ドイツの正体~VW事件を生み出した「傲慢」「自賛」体質とは』)


 と、書いていらっしゃいましたが、さもありなん、と思いました。ドイツ人にとって、「ルールを守る、倫理的に正しい人間」であることは喜びなのです。


 問題は、そのルール自体が間違っていた場合にはどうなるのか、という話でございます。たとえば、ドイツ人は財政均衡主義を憲法に書いてしまっています。ドイツが財政黒字にこだわるのは、まさに憲法(ドイツ基本法)にルールとして書いてあるからです。


 とはいえ、当たり前ですが、財政均衡主義は「常に正しい」わけではありません。と言いますか、少なくとも現代という時代においては基本的に間違っています。デフレ期の財政均衡主義は、国民を貧困化させ、先進国を発展途上国化させます。


 それにも関わらず、ドイツ人は「財政均衡主義」というルールに従うことに喜びを感じる。なぜなら、それが「正しい人間」であるから、というわけでございます。


 ドイツこそが、世界で最も新古典派経済学い相性が良い民族のように思えてきました。
 
独 市長選候補刺される 難民受け入れ不満か
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151018/k10010273981000.html
 メルケル首相が難民の受け入れに寛容な姿勢を示しているドイツで、政権与党の支援を受けたケルン市長選挙の候補者が投票日前日に男に刺されて大けがをする事件があり、警察は、男が難民の受け入れに不満を持っていたことが動機ではないかとみて調べています。
 ドイツ西部のケルンで17日、市長選挙の候補者の1人、ヘンリエッテ・レーカー氏(58)が翌日の投票日を控えて最後の選挙運動をしていたところ、男にナイフで首を刺されて大けがをしました。
 男はその場で身柄を拘束され、警察によりますと市内に住む44歳のドイツ国籍の男だということです。
 ケルンのある州は、中東などからの難民や移民を国内で最も多く受け入れている州として知られています。
 レーカー氏はケルン市で難民政策を担当する女性の政治家で、難民の受け入れに寛容な姿勢を示しているメルケル首相が率いる政権与党から支援を受けて選挙運動を進めていました。
 警察は、組織的な背景はなく単独の犯行だという見方を示すとともに、身柄を拘束された男がドイツ政府の難民政策に対して不満を示していたことから、こうした不満が動機ではないかとみて詳しく調べています。
 ドイツでは、中東などからの難民の流入に歯止めがかからないなか市民の間に不安が広がり、メルケル首相の難民政策に対する批判も強まっています。 』


 なぜ、ドイツが難民を受け入れているかといえば、大本の話をすればダブリン協定です。ドイツのみならず、欧州連合諸国はダブリン協定により政治難民を拒否することはできません。


 無論、人道的に見ても、政治難民を受け入れることは寛容であり、正しく思えます難民受け入れに反対する人は「正しくなくない人間」なのです(あくまで、ドイツ人の価値観を推測しています)。


 とはいえ、ダブリン協定は現在のような大量の難民を受け入れることを想定していません。国際移住機関の発表によると、10月16日時点で、今年ヨーロッパに到着した地中海難民の数は61万を突破しました。


 さらに、ドイツには2015年中に、100万人を超える難民・移民が流入すると見込まれています。2014年比で、何と5倍です。


 ドイツ基本法や欧州連合条約のルールに従う限り、難民を受け入れることは「正しいこと」です。ドイツ国民の多くは、難民受け入れを「正しいこと」と認識していたのでしょう(現在はわかりません)。


 メルケル首相の、
政治難民受け入れに上限はない!
 というスピーチに感動したドイツ国民は、難民を受け入れに賛成することが「正しい人間」であると認識したわけです。


 とはいえ、「現実に実現可能」であることを「正しいこと」であると定義すると、ダブリン協定や欧州連合条約は正しくありませんと言いますか、実現不可能なのです。


 現実がルールを超えてしまったとき、ドイツ国民は混乱し、事態が一気に悪化するように見えます。ケルン市の事件を受け、メルケル政権は恐らく移民受け入れに「強硬的」にならざるを得ないでしょう。とはいえ、「現場」の話として、ドイツが年間に100万人もの難民・移民を受け入れることはできません。

 しかも、難民・移民の流入は、2016年以降も継続します。


 ドイツ人の「ルールに従う」「正しい人間である」ことに喜びを感じる国民性と、日本人の「ルールと危険の間の適正値を探る」という国民性と、どちらが望ましいのでしょうか。現在のようにアメリカの覇権が衰え、各ルールが意味をなさなくなっている時期には、間違いなく後者だと思います。(ただし、その分、日本人は国際社会において『自分に都合がいいルール』を定めるようなことができない、という問題もあります)


 もちろん、日本でも財務省を初め、意味不明なルール(財政均衡主義)に固執する愚か者たちも少なくありません。政治家たちまでもが同じ状況に陥っており、日本経済は衰退を続けています。


 サヨクの皆様はサヨクの皆様で、現実には機能していない憲法九条という「ルール」にこだわり、防衛面の安全保障を弱体化するべく、頑張っていらっしゃいます


 とはいえ、少なくとも長期的に見た場合、日独間で際立つ「国民性」の違いが、将来、実践主義的に物事を解決できるかどうかを決定づけるように思えたのです。皆様は、いかなる感想を覚えたでしょうか。 


 杓子定規にルールに従うべきなのか。ルールと「危険」の間のどこかに、最適値を模索するべきなのか。


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