アメリカの不動産、住宅について調べていくと、最終的にはゲーティッド・コミュニティに行き着きます。初めてこのゲーティッド・コミュニティについてニューズウィークで読んだときには、頭がくらくらしました。これって、ゲットーと何が違うの?というが最初の感想です。
 ゲーティッド・コミュニティとは、ご存じの方も多いかも知れませんが、富裕層向けの住宅地をフェンスで囲い、出入りを制限し、警備員を配置し、「安全な」コミュニティを実現した、というものです。ちなみにゲットーの方は、中世の欧州で隔離されていたユダヤ人たちが住んでいた居住区です。
 ユダヤ人たちは隔離政策で塀の中に閉じこめられていたわけですが、アメリカ人の金持ちは大金をはたいて塀の中に閉じこもるわけです。
 いや、分かりますよ。都市の治安が最悪で、郊外にまで害が及んできた状況であるから、富裕層である自分たちは安全な生活空間を手に入れたい、という気持ちは。しかし、人間的に、社会的にはどんなもんなんですかね?
 わたしはそれほどアメリカ経験が多いわけではありませんが、マンハッタンはいざ知らず、アメリカの多くの地域では、人々は本当に他の人々と接触しません。特に、所得が異なる人々同士の接触は、全くないと言っても過言ではないと思います。
 なぜかと言えば、アメリカ人の移動はほぼ100%、自動車で行われるからです。
 たとえばホワイトカラーのアメリカ人が、自家用車で貧民街に差し掛かったとします。彼はそのまま誰とも接触をせず、ただ貧民街を通り過ぎるだけです。彼の階層と、貧民街に住む人々の階層が交わる機会は、殆どありません。
 それを究極的に押し進めたのが、ゲーティッド・コミュニティーなのです。
 なぜわたしがゲーティッド・コミュニティを微妙に批判的なニュアンスで批評しているかと言えば、文明の進化にはダイバーシティ(多様性)が不可欠だと思っているからです。(大げさで、すみません)そしてダイバーシティは、異なる文化、年齢、性別、趣味、所得、嗜好を持つ人々が集い、すれ違うことにより産まれると考えているからです。
 アメリカでは、マンハッタンなどの一部の例外を除き、階層が異なる人々が接触する機会が減ってきているように思えてなりません。ゲーティッド・コミュニティについて考えると、特にそう思います。
 なんて大仰に書いていますが、実は、単に今日もいつものように東京の地下鉄に乗り、様々な人々と接触したことを切っ掛けに、ゲーティッド・コミュニティについて書こうと思いついたただけなのですが。が、確かに日本の「異なる人々が大量にすれ違う空間」は、ダイバーシティに溢れ、文化を育む土壌になっていると思います。
 具体的に書きますと、わたしたちの子供たちは、わたしたちと同じように地下鉄に乗り、様々な人々とすれ違い、その度に何らかの刺激を受けて成長するでしょう。それに対し、ゲーティッド・コミュニティで暮らす子供たちは、限られた空間の同じ所得層の人々と接触するだけです。どちらの子供たちがより多様性に富み、文化を深めていくことができるか、考えるまでもないと思います。

 ところで、なぜこの記事が「韓国経済関連」なのかと言えば、最後にこれを書きたかったからです。
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 ゲラの修正が始まりましたので、今日はあまり長文を書けません。明日は頑張ります。