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 今回のチベット動乱から四川震災までの様々な報道で、最も唖然としたのは、やはりこれでしょう。

『北京五輪「聖火リレー」規模縮小へ 四川大地震
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/144684/
【北京=川越一】中国・四川大地震の被害が拡大していることを受けて、北京五輪組織委員会は、14日に江西省瑞金で行われる聖火リレーから式典の簡素化などリレーの規模縮小に踏み切ることを13日明らかにした。
 組織委によると、国を挙げて被災地の救援活動にあたっている状況を考慮し、リレーの安全を優先させた。特に歌や踊りなどでリレーを彩っていた出発式典を簡略にする。来賓などのスピーチも短縮し、第1走者がスタートする前には式典参加者全員で地震の犠牲者に1分間の黙祷(もくとう)をささげるという。
 スタートからゴールまでの各地点に募金箱を設置して義援金を募る。「一方有難、八方支援(どこかに困難があれば、四方八方が応援する)」「団結一致、衆志成城(一致団結しみんなが心を合わせればどんな困難も克服できる)」を標語に掲げることで愛国主義を鼓舞し、救援活動を支援するという政治的な狙いも隠されている。
 組織委は一方で、甚大な被害に見舞われた四川省で行われる6月15~18日の聖火リレーは、予定通りに実施する方針を表明した。』
 
 って、続けるんかい! と、多くの日本人が突っ込んだに違いない、大震災後の聖火リレー継続です。
 わたしはご存じの通り、それほど「グローバル」という言葉が好きなわけではありません。が、幾ら何でも何万人もの自国民が死亡し、被災者1000万人と言われる大災害の最中に、国威発揚目的の聖火リレーを続行するのは、グローバルな常識からかけ離れていると非難したくなります。日本の「国際化」を叫び、日本はグローバル標準から外れていると主張する地球市民の皆さんは、是非とも天安門広場にピケを張って、「中国政府の聖火リレー続行は、グローバル標準からかけ離れている」と叫んできてください。恐らく、地球上の40億人くらいは賛同してくれると思います。
 実際問題として、中国人が自国を見る視線、態度は、グローバル標準とは大きく違います。何が違うのかと言えば、異民族間は勿論のこと、同じ漢民族同士でも地域対立が激しい点です。まるで敵国人同士か何かのように、激しく各地域が憎みあっているのが、中華人民共和国の真実の姿なのです。
 中国の地域間対立は、東京と大阪が互いに莫迦にしあっている、などという、ほのぼのとした関係ではありません。レベルも質も、そして歴史も全く異なる深刻な問題なのです。
 例えば日本の場合、関東で震災が起き、何百万人もの被災者が出ている中で、関西で派手な祝い事のイベントを開いたりは絶対にしないでしょう。日本人全員が「それどころじゃない!」という意識を共有し、互いにサポートする事を考えるはずです。なぜならば、日本人は確かに同じ「国」という共同体を保有する同国民であり、わざわざ口にせずとも、この感覚を誰もが自然に持ち合わせているからです。
 ところが、中国の場合は、事情が異なります。
 中国では地域間対立が非常に深刻で、各地域の住民は互いに憎み合っており、同じ共同体を保有しているという意識は皆無です。これは中国共産党がどうのこうのという話ではなく、中国の歴史上の問題です。
 地域間対立が激しすぎ、下手に物事が動き始めると収拾がつかなくなる可能性が高いので、中共は殊更に若者に愛国教育を繰り返し、敵国(日本)への敵愾心を煽り、そしてチベットやダライ・ラマに対し一切の譲歩や妥協の姿勢を見せようとはしないのです。
 最も有名な例として、北京と上海の対立を挙げましょう。
 中国の首都は古の元の時代から、継続して北京です。元と言えば日本人には親近感があるため、それほど昔の時代には思えませんが、日本の歴史で言えば鎌倉時代の事です。つまり、鎌倉時代から現代まで、首都がずっと東京であり続けたようなものなのです。
 歴史的には、明代初期と中華民国時代に、南京に首都を置いていましたが、あくまで例外的な期間と言って構わないと思います。
 ところで、その歴史ある首都である、北京の産業とは何でしょうか? 
 この質問をされて、即答できる人はあまりいないと思います。北京の産業? 金融の中心は上海だし、中小製造業は広州近辺、更には福建省や天津、大連なども産業の中心として名高いですね。ですが、北京の産業は、殆どの日本人は知りません。
 北京の産業とは、一体何なのでしょうか?
 答えは、「政治」です。アメリカのワシントンDCと同じく、北京は完璧に政治に特化した市であり、自前の産業というのは殆ど発達していません。
 これは何も今に始まった事ではなく、遠きフビライ・ハンや永楽帝の時代から一貫してそうなのです。
 それでは政治とは果たして何か? 一言で言えば「権力」になりますが、より具体的に書くと、様々な許認可の決定や、裁量を自分に都合の良いように動かせる力です。(この辺りは明日のブログで詳述します。)
 さて、自前の産業が無く、経済規模が小さい北京市ですが、政治の中心というだけの理由で、全国から税収が集まってきます。特に中国の産業の中心も言える上海市からは、毎年莫大な額の税金が上納されてきます。
 要するに、北京市は上海市を中心とする地方に養われているようなものなのです。
 にも関わらず、政治の中心であるというだけの理由で、北京市民の選民意識は半端ではありません。経済活動の殆どの許認可は北京で下される、つまり北京の「誰か」が下すのです。そして、その「誰か」と繋がりがある、つまり政治力がある北京市民の優越感は、東京都民には想像もつかないレベルに達しています。
 これを、中国経済の中心である上海市民が、快く思うはずがありません。
 特に?小平の開放前の上海市は、稼いでも稼いでも税金を北京に吸い上げられ、上海市民は北京市民よりもはるかに惨めな暮らしを送っていました。その恨みは、上海人の骨髄にまで達しているそうです。
 北京市民の方にしてみても、上海市民を「西洋かぶれの上、中華の伝統を忘れた守銭奴」として見下しています。北京における上海人の嫌われぶりは、ちょっと日本人の想像を超えます。もしも北京市で上海人だと知られると、本当に何をされるかわからないのです。
 そもそも北京市民と上海市民は話す言語が違う上に、自分こそが中国で最も偉い市民だと、選民意識に凝り固まっています。この両市の住民がお互いにいがみ合い、憎み合うのは、もはや中国の宿命と呼んでも構わないと思います。
 北京市と上海市の問題に留まらず、中国の各地域は互いに酷い渾名で呼び合い、拒絶し合っています。幾つか例を挙げましょう。

・河南人 => ペテン師、詐欺師、貧乏人(実際に河南は中国でも貧しい地域の一つ)
・広州人 => 売国奴(金のためなら、国も売る)
・湖北人 => 九頭鳥(九頭鳥とは、不吉を呼び寄せる鳥)
・江北人 => 豚(豚と同じく、食べるときは大人しいが、時々凶暴になるため)

 凄いでしょう。東京都民が大阪府民を「詐欺師」と呼んだり、大阪府民が東京都民を「豚」と呼んだり、ちょっと想像がつかないと思います。
 これらは単なる悪口の域に留まらず、広州の企業が河南人の採用を拒否するなど、具体的な弊害を発生させています。
 中国の場合はこの地域対立に、異民族間の対立(主に漢民族対その他の民族の対立)が加わるわけです。
 今回の震災の被害地域は、四川省とは言っても、、毛沢東による侵略の前はチベット領だった地域が多く含まれています。
 震災の被害が拡大していくニュースを聞いても、殆どの中国人は、
「四川? チベットだろw 俺には関係ないね」と思っているでしょう。と言うか、これが一般の中国人の標準的な思考形式です。
 だからこそ、大震災の最中にありながら聖火リレーを続行するなどという、発想が生じるのです。殆どの中国人にとって、四川震災は他人事と言うよりも、他国事なのです。
 この激しい地域間対立は、今後の中国をヲチする上で、決して忘れてはいけない視点だと思います。「本当にヤバイ!中国経済」にも書きましたが、中国は決して中央の力は強くなく、経済も諸侯経済の色が濃いのです。この部分は、完全に中央集権だったソ連とは違いますね。

 明日は日本と中国の「政治」及び「政治力」について。

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