「Voice 12月号 特集 金融危機を突破する法」に「特集? 東アジアの危険な火種 韓国経済は崩壊寸前だ ウォン暴落、純債務国化-悪循環は連鎖する」を寄稿しました。
http://www.amazon.co.jp/dp/B001IUMRZW/
「撃論ムック 米中発・世界大恐慌」に「Q&A基礎から分かる世界大恐慌(P26)」及び「リーマン・ショックで韓国経済は破産(デフォルト)する(P129)」を寄稿し、更に冒頭の「特別座談会 金融グローバリズムの崩壊と日本の未来」にも出演しています。
http://www.amazon.co.jp/dp/477551279X/

 唐突ですが、わたしが著作を書く時のパターンは結構バラバラです。
(1) タイトルからプロットまで固めてから執筆開始するケース⇒ドル崩壊、新世紀のビッグブラザーへ
(2) プロットは決まっているが、タイトルが決まっていないケース⇒トンデモ!韓国経済入門、本当はヤバイ!韓国経済
(3) タイトルもプロットも決まっていないケース⇒本当にヤバイ!中国経済
 当たり前ですが、一番つらいのは(3)のケースです。まあ、タイトルは最終的には出版社の決定事項なので別にいいのですが、プロットまで決まっていない状況では、書く方としては地獄になります。(いや、そりゃプロットを作ればいいんですけどね)
 ヤバ中は「中国経済ものを」と依頼され、書き始めました。プロットが決まっていなかったため、当時、何となく興味があったサブプライム問題(に絡めた日米スの国際収支)の話から書き始めてしまい、その部分(中国の話で無い部分)が膨らみすぎ、後で圧縮する羽目になりました。(が、あのサブプライム問題関連の記述が切っ掛けで、「ドル崩壊!」が誕生しました。)
 以前、チラリと書きましたが、次回作はメディア関連の話にすると決定しており、既に出版社で企画検討に入っています。(企画会議で落とされるかも知れませんが) この企画は、「とある事情」からタイトルもプロットも完全に固めないまま執筆に入ることになります。
 さらに、次々回作の方も準備を進めており、そのタイトルがまさに「国家のモデル」だったりするのです。もちろん、中心となるのはサブプライム危機以降の「日本のモデル」です。十月末のエントリー「国家のモデル」及び「国家のモデルI I 」が、アイスランドやら韓国やら中国の話ばかりで、日本のモデルが出てこなかったのは、このためです(あまりにもネタバレなので)。
 ただ、少しだけ同企画の内容について触れておきますと、例えば出版社の編集の皆様のお話が出てきたりします。
 グローバリズムの進展とインターネットの発達は、編集業という(日本人からしてみれば)いかにもローカルな職業でさえ、オフショアリングを可能にしてしまいます。実際に、アメリカの出版社の編集業務が、インドの会社にオフショアリングされ、アメリカ人編集者たちが職を失うという事態が発生しているのです。英語が準公用語であるインドには、アメリカ人よりも安価に、かつ質の高い編集業務を提供可能な人材が溢れています。(何しろ人口の母数がでかいので)
 また、最近の筆者は雑誌の執筆・インタビュー記事のお仕事を頂く機会が増えていますが、ご依頼頂いた編集者様と一度もお目に掛かっていないケースが出てきています。電話とインターネット(メール)があれば、意外と事足りてしまうのです。
 お名刺交換さえせず、電話とメールだけで校了となった時、ふと気がつくわけです。もし、わたしのカウンターパートとなっている編集者様が、日本以外で業務を行っていたとしても、わたしの執筆業務には殆ど影響が無い上に、そもそも何も気がつかないだろう、と。
 もちろん、実際にはそんなことはあるはずもなく、編集者様たちは日本国内で、他国人には提供できない編集業に従事されているわけです。当然、同じ日本人との競合はあるでしょうが、国民所得が圧倒的に低い海外の人々との競争を、編集者様たちが避けることができています。この理由は何でしょうか。
 もちろん、日本語のおかげです。日本語が日本人以外には殆ど理解できず、かつ日本語のマーケットが世界有数の規模である限り、編集者様が海外オフショアリングにより職を失うことは、あまり考えられません。良かったですね(笑
 しかし例えば、戦後の朝鮮半島や台湾で日本語が排斥されず、今も変わらず公用語として日本語が使われ続け、かつ国民所得が日本よりも圧倒的に低い場合はどうなったでしょうか。日本の編集者様たちは、日本語を自由自在に操る上に、三分の一の給与でも必死に働く他国人との競争を強いられたわけです。今、まさにアメリカの編集者たちが直面している事態ですが、これは相当にきついです。
 無論、日本語の効用は、別に編集者様たちの参入障壁として役立っているだけではありません。
 アニメの作画など、いまいち言語が参入障壁にならない業界では、実際に韓国や台湾にアウトソーシングされるケースがあります。しかし、ストーリーまで含めたアニメーション・コンテンツの製作では、まだまだ日本は世界に対し強烈な存在感を示しています。
 これはアニメーション製作が単なる作画業務ではなく、様々な技術・リソースを結集するプロジェクト的な要素を多分に含んでいるためだと思います。さらに、アニメやコミック、ゲーム、小説、映画、テレビドラマなどなど、フィクションの世界において、日本語で日本人が長年蓄積してきた文化的なパワー(アカデミックに言うと、ソフトパワー)が、日本は世界の多くの国々と比べて圧倒的であるということです。
 そしてなぜ日本のソフトパワーが圧倒的なのかと言えば、日本語を用い日本市場向けにコンテンツを作る日本人(とは限らんが)の数が膨大であるためなのです。

国家のモデルIII(後編に続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/takaakimitsuhashi/20139100.html